見出し画像

勝利の町中華と夜鳴きそば


 秋葉原という街はいつでも誘惑に満ちている。とりわけ最近では二郎系のラーメンとコンカフェ。そのふたつで構成されていると言っても過言では無い。

 おたくたちは二郎系を食べた後にコンカフェに行くのだろうか。にんにくの匂いが充満する店内というのは大丈夫なのだろうか。そんなことを思いながら僕は夕闇に包まれた秋葉原を歩いていた。空腹だった。

 東京旅行に来ると毎度のようにここに来てしまうため、いっそのこと秋葉原のホテルに泊まろうと思ったのが先週。実際に赴いてみるとそこは秋葉原のイメージとは真逆のようなオフィス街で、遠く彼方にあの誘惑のネオンが輝いて見える、そんなはずれにある所だった。

ドーミーイン秋葉原。名前とは裏腹なホテルが今日のねぐらだ 昼下がりにチェックインを済ませ、おたくの街を満喫。そこはどこも本当に心地が良く、会話の端々も全てがおたくに満ちていて、僕が生きていてもいい場所なんだと改めて実感する。まるで命の洗濯だった。

 日も沈んだ頃にようやく自らの空腹に気づく。見渡すと、周りは二郎系ばかりであった。ラーメンはダメだ。いや、大好物なんだが今日だけはダメなんだ。

 なぜかって、ドーミーインの夜鳴きそばを楽しみにしているからだ。ドーミーインは夜に無料でしょうゆラーメンを客に振る舞っている。しかもそれが妙にうまそうなのだ。これが楽しみでホテルを予約したと言ってもいい。だから今日の夕飯はラーメン以外でお願いしたいのだ。

 しかし目に入るのはラーメン店ばかり。あれこれ迷っているうちに疲れてしまい、気付けばホテルの近くまで戻っていた。疲れ切った体にふと赤い灯りが目に入る。

「順興……」

 ホテルのすぐ隣に中華料理屋があった。気付かなかった。昔からある感じのいかにも中国人がやってます、といった風合い。中をそっと覗いてみる。サラリーマンの集団がみな笑顔で春巻きや餃子を片手にビールを勢いよく流し込んでいた。これは、勝機。

 個人的体験だが、こういった町中華ではサラリーマンの表情がよければ良いほどうまい。それも大絶賛!といううまさではなく、どちらかというと「そうそうこれこれ」といった庶民的なうまさだ。だから食べログとかではそんなにいい評価にはならない。見てないけど多分三点とかだろう。

 壊れた自動ドアを手動で開ける。期待が高まる。無愛想と営業スマイルのはざまを行ったり来たりする中国系のおばちゃんが「ドコデモイイヨ」と顎で案内する。またも期待が高まる。

「メニューネ。バンシャクセットノネ」

 晩酌セット。ドリンクにおかずに点心で九八〇円か……安い!おかずも種類が豊富だしこれで決まりだ。この後夜鳴きそばもあるしちょうどいい感じだ。

「すいません、晩酌セットで、ビールともやし炒め、あと点心は餃子ね」

 無言で注文を受け取ったおばちゃんはそれを壁に設置された箱へと放り込んだ。なるほど、あれ料理用のエレベータだ。上で作ってるんだな。

 すぐにどん、と大きめのジョッキに注がれたビールが運ばれ、軽くちびりとひとくち。うん、うまい。ここで普通なら歩き通してほてった体にビールをどくりと注ぎ込み、はいおかわり!だろうが、あいにく僕は酒が弱い。のどごしとは程遠い飲み方でビールを消費する。

 ウイスキーかな?と思えるほどのスローペースで飲んでいると、ようやく待望のもやし炒めが運ばれてきた。これは、絶対にうまい。茶褐色の濃いあんが全体にかかっていて、そのしょうゆベースの湯気が眼鏡に襲い掛かるとあっという間に食欲スイッチが全開になった。

 ガーネットのようにきらめくもやしをひと口。ジャキっと鳴り響くもやしからしょうゆあんの旨味が飛び出した。たかが三本ほどの彼らからは想像もできないほど味が濃く、舌の根がジンと痺れるほどだった。

 思わず酒が弱いことも忘れてビールを流し込む。苦味が、冷たさが、炭酸が全てを調和させて喉へと押し込んでいく。流し切ったそばからあの味をまた体験するためにもやしを口へと投入。そしてビール。なんだこれは。うまい、うますぎる。

 そこへ餃子が遅れて着弾。小ぶりながらも中にぎゅっと詰まったタネがまたうまいんだ。小綺麗なものではない。いかにも肉肉しいつまみ用の餃子。今はこれがいい。下品なくらいにラー油に付けて放り込んでやれば、油の手榴弾が口内で爆発する。いかんいかんビールで癒さねば。はあ、幸せ。

 たった一杯で酔いに包まれたコスパのいい体をどうにかホテルのベッドまで運ぶと、しばし布団に沈んだ。たゆとう体は睡魔のささやきに……

 寝てた!え、今何時?あっぶねまだ二十二時半か。例の夜鳴きそばは二十四時までなのだ。いそいそと準備をしてロビーへと向かう。酔いは程よく過ぎ去っていた。

 一階のレストランには外国人で溢れていた。これみんな夜鳴きそば目当てなのか。ラーメンのうまさは国境を越えることを感じつつ夜鳴きそばを注文。もちろん、タダだ。すぐに運ばれてきたそれは想像以上にうまかった。

しっかりと出汁の効いたしょうゆスープにちょうどいい太さのちぢれ麺。そしてたっぷりと振りかけられた乾燥のりがスープに溶け出すと、これがまたいい感じに麺と絡み合って思わず

「ほっ」

 と声が出てしまう味なのだ。なるほどこれは確かに夜に食べたい。そしてなんなら酔っている時のシメとしていただきたい。寝落ちしてしまい、酔いが醒めてしまった体を恨みつつうまいうまいと完飲した。

膨らんだ腹をさすりながら最上階の温泉へと向かう。これ別に名古屋でも食えるよなと内心笑っていた。

この記事が参加している募集

あなたのそのご好意が私の松屋の豚汁代になります。どうか清き豚汁をお願いいたします。