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卵とトマトと中国と
なんか行きたくなる店、ってのがある。特別近くもなく、大絶品というわけでもない。なんなら世間様の評価も別にそんな高くもない。それでも気付くと足を運んでしまう店、というのが自分の中にいくつもあって今日もそこへ自然に体が吸い込まれていった。
「明和酒家 大須301店」
大須のとあるビルの三階にある中国料理店だ。同じフロアにはサイゼリヤと、本格カレー屋と、そして大量のコンカフェが混在するカオスなものとなっている。
お気に入りの嬢の出勤時間、いや出勤って言い方しないか。なんだっけ……そうだそうだ、お給仕だから「おきゅいん」だ。それの時間を待っているのか、僕と似たようなオタク風のおじさんたちが店の前のベンチに腰掛けている。
おきゅいん待ちの彼らのじっとりとした視線を受けつつ僕は直進する。仲間を感じる、気持ちの良い視線だ。大丈夫だよ、担当被りとかしてないよ。
目的の中国料理屋は今日も閑散としていた。これこれ、祝日なのにこの雰囲気。最高だね。細身のお姉さん店員が遠くから「ドコデモドゾ」と声を届ける。遠慮なくひとりなのに四人掛けのテーブルへと移動し、腰掛けた。
渡された冷たいおしぼりに感謝しつつメニューを眺める。正直言って、この手の店は定食以外は結構割高で、調子に乗ってあれこれ頼むといつの間にか会計がちょっといいところの焼肉ランチ代並にいってしまうことがある。単純に食べ過ぎなのでは?という問いはあるがそれはここでは握り潰させてもらう。
メニューには魅力的な文言が並んでいた。青椒肉絲、回鍋肉、油淋鶏といった日本人なのにすっかり読めるようになってしまった定番中国語メニューはもちろんのこと、キノコとチーズの天ぷら、ゆでレタスオイスター風味、ハチノスのからし和え、などなど酒のつまみになりそうなものも豊富に揃えている。
とりあえずチャーハンは頼むとして、他に何か……お、これがあるじゃん。卵とトマトの炒め物。よっしこれを頼もう。あとチャーシューも単品で頼むか。ん?これはもしかしてもうすでにちょっとした焼肉ランチ代くらい……まあいいか。
注文後も店内は閑散としていた。無音。廊下の遠くのコンカフェで何やら盛り上がっている声の方が聞こえてくる。それくらいに店内は静かで心地の良いものだった。
客が少ないせいか到着は早く、今宵の楽しみがテーブルに並べられる。チャーハンにチャーシュー、そして卵とトマトの炒め物だ。文字通りトマトと溶いた卵を炒めたシンプルな料理、これには少しだけ思い出がある。
昔、僕がまだ高校生だった頃、トヨタ自動車に勤めていた父親の仕事の関係で家に中国人がよく来訪していた。目的は父親の中国語習得のため。
「おい、悟。今夜から何回か中国人が家に来るからな。食事会するぞ」
「え?中国人が?まじ?中華料理作ってくれるの?」
「“中国料理”な。作ってくれるみたいだぞ。ああ、もちろん俺の勉強のために日本語喋れないメンバーしか連れてこないから悟、お前は英語でしゃべれ」
「は?」
青天の霹靂のお手本のような状況に大いに困った。やってくる中国人はカタコトでさえも日本語は話せず、全てのコミュニケーションを中国語か英語で行っているというのだ。
あわてて高校の英語の教科書を開いて会話文を確認するも、そこにあったのは「ああ、そのビルは角を曲がって四つ目の通りにあります」といった絶対に今日役に立たないものしかなく、母親と共にどうしていいか分からないまま緊張していると、ついに中国人がやってきた。五人も。
しかしながら彼らは聡明で丁寧だった。当時テレビで見ていた中国のイメージとはかけ離れた、人にやさしい中国人。ゆっくり話してほしいといったらそうしてくれたし、単語も子供がわかるような平易なものを使用してくれた。屈託のない笑顔が眩しい。傲慢で自分勝手な中国人、というステレオタイプが壊れた思い出だ。
英語も中国語も話せない母親も謎のコミュ力を発揮し、やさしい彼らとすっかり打ち解けていた。
そこで出された料理もやさしいものだった。ニンニクの入っていない白菜水餃子、アスパラと青菜の黒酢炒め、そして卵とトマトの炒め物だ。
初めて遭遇した謎の食べ物に箸が止まる。卵とトマト。材料自体はありふれたものなのにそのふたつが組み合わさると急に不思議なものに見えてしまう。おそるおそるグデっととろけたあつあつのトマトを口に運ぶと、それは日本人の僕にもすぐに受け入れられる味だった。
加熱されて酸味の角が取れたトマトは甘みの渦となって舌の平野に広がり、初めての外国人との食事会の緊張を解していった。そこに加わるふわふわな炒り卵は鶏ガラの味がしっかりと付いていて頼り甲斐のあるものだった。
「これを中国では夕ご飯に食べるの?」
僕の疑問に彼らは少し笑っていた。どうもこれはどちらかと言うと朝食にお粥や揚げパンと共に出てくる、いわゆる朝食の定番であり、今夜これが出てきたのは僕の父親の熱望からくるものだったそうだ。父親はだって食べたかったんだもん、とはにかんでいた。
なるほど、と頷く。中国でも朝ごはんには日本みたいにこんなやさしい卵料理が出てくるんだ。てっきり朝から油まみれの青椒肉絲とか食べていると思った。パクパクと箸が進む。隣の国の人々も負けじと食べていた。そこから数ヶ月後、父親は中国の天津へと旅立った。
あれから何年経っただろうか。天津は大きな爆発事故もあったが、彼らは今でも元気にやっているだろうか。閑散としている店内で熱でとろけた真っ赤なトマトをひとくち頬張る。それはあの屈託のない笑顔がおぼろげに浮かぶ、やさしい味をしていた。
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