ソウルフル(店主が)ラーメン、燕参上探訪記
「いくわよ♡」
確かに髭面の大将はそう言った。僕は目の前のカウンターで確かに聞いた。その口ぶりからハートが付いていることも確かだった。
以前から名古屋の伏見に不思議なラーメン屋があることは、僕の耳にもよく入っていた。カレーがうまい、看板がガムテープ、やたらノリのいい大将、などとラーメンと関係のない評判が多くを占めていて、おおよそそういう店は肝心なラーメンがまずいってのが相場だった。
しかし、この店は違った。ラーメンがまず絶品で、その上で変わってるらしいのだ。それに、あまり名古屋ではお目にかかれない燕三条ラーメン。一度味わってみたかった。
ようやく遅く訪れた秋の夕暮れ。まだまだ昼間は暑いが、日が落ちると一気に半袖では心許無くなる気温。十月の半ば。いい日だった。
住所は栄だが繁華街からは離れた住宅地。道は驚くほど暗く、遠くで主要道路を走る車の群れが鳴いている。駅から五分ほど歩いただろうか。目的地である、燕三条ラーメンを出すお店、その名も「燕参上」が現れた。
なるほどこれは確かに個性的な出立ち。トタンのような外壁に本当にガムテープが貼ってある。営業時間とかが書いてあるな。並びはない。万が一を考えて夜営業の開始時間に来た甲斐があった。
しかし勇気がいるぞこれは。外でタバコ吸ってる怖そうなおじさんもいるし、スガキヤの平和な空間で育った僕にはハードルが高い。
だが入らなければ始まらない。ゆっくりと深呼吸するとともに入店する。結構混んでいて客層は若い。店内は賑やかなファンクだかソウルだかの洋楽が流れていた。
厨房にいた二人の女の子から明るく「いらっしゃいませ〜」と出迎えられる。元気そうな二人が醤油だれをどんぶりに注ぐ練習をしていた。
「ねね、見てこれうまくね?」
ノリノリなふたり。まさかこの子達がラーメン作るのか?と疑問だったが、ハーフカレーとラーメンの食券を手にカウンターに座ると、扉から先ほど外でタバコを吸っていたおじさんが歌いながら厨房へと入っていく姿が見えた。待てよまさか。そのまさかだった。彼こそが大将だった。
大将は機嫌良さそうに「いくわよ♡」とふたりに告げると見事な手捌きでラーメンを仕上げていく。それを眺めているとまず例のカレーが真っ赤なテーブルに置かれた。
薄いアルミの皿にたっぷりと盛られている。スパイシーな香りが周囲を満たし、一瞬何の店に来たんだっけと錯覚が走る。こぼさないように慎重に口へ運ぶとその錯覚はさらに強いものとなった。
うまい!え、なにこれ超うまい。語彙力無くなる。スパイシーさの奥に複雑なうまみがしっかりとあり、米の甘みと果てしなく融合し続けている。ホロッホロにほぐれた肉の脂は口内を舐めまわし、それがさらに米への渇望を加速させる。止まらん。止まらんぞこれは!
漫画のようにガツガツと食べながらあれ?カレー屋さんだっけここ。ラーメンがサブメニューだったかな、と錯覚が止まらない。おかしいだろこのうまさは。カレー屋さんもやってくれよ。
残りひと口ほどとなり、ようやくコップの冷水を口に含む。ふう、大満足と一息つくと目の前には両手でラーメンを持った店員。
「おまちどうさまです。こちら新潟燕三条ラーメンです」
カレーの興奮も冷めやらぬうちにメインディッシュがドンと運ばれてきた。そうだ、そういやラーメン屋だった。しかしカレーでだいぶお腹の容量を食ってしまった。残りのカレーをぱくりと平げ、食べ切れるかどうかの不安さを胸にスープを一口啜る。
あ!うっま!濃厚な魚介と豚のうまみが脳天を掻き回す。この一口のスープで一気に胃腸は空腹の信号を脳に送り、僕の食欲は再始動された。いける、いけるぞ。
どろりとよく絡んだ麺も持ち上げて啜る。太くワシワシ。どっしりとスープに負けない力強さがある。
甘みと脂、そして麺。幸せのルーティンだ。飽きないように刻んだ玉ねぎも合間合間にひとかけらずつ口に入れる。幸福値がいい感じにリセットされ、また新鮮な気持ちでラーメンに向き合った。
ちょっと休憩。額の汗を拭う。ふと、隣で空になったカレーの器に目がいった。箸でその残骸を拭って食べる。ああ、すぐにわかった。しまった、これラーメンに合うやつや。スパイシーさとスープの甘みが抜群に合うやつだ。
食べ切ってしまったカレー。残しておけばよかった。その後悔を脳裏に刻み、ラーメンを食べる。しかしながらうまい。
ごちそうさまです。食べている間、何度も大将は「いくわよ♡」と宣言をし、ラーメンを作っていた。そして店内に流れる曲に合わせ歌い、常連と思わしき客と仲良く話す。陽気な店だった。
外を出るとやはりそこは繁華街から離れた薄暗い住宅地で、先ほどまでの楽しい空間が夢のように感じられた。店を後にすると背中から楽しそうな笑い声が聞こえていたが、少し歩くとそれはすぐ車の音に遮られて、もう聞こえなくなった。