お菓子作りにはまっていた頃の話
大学で栄養と食に関する資格をとる勉強をしていた私はその頃、人生で一番お菓子作りにはまっていた。
きっかけが何だったのか、どうしてあんなに色々作って人に配り歩いていたのか、今となっては思い出せない。
あれはなんだったのだろうとふりかえってみる。
あれもこれも作った
思い返せば、本当に色々作った。
クッキー、マドレーヌ、フィナンシェ、タルト、スコーン、シフォンケーキ、マフィン、ブラウニー、パウンドケーキ、チーズケーキ、ロールケーキ、シュークリーム、ブッシュドノエル…
シュークリームとロールケーキは我ながら、よく作れたなと思う。
どこかに習いに行ったことはなく、本をみてあれもこれも作った。
材料の温度に気をつかうとか、卵白を少し凍らせるといいとか、生地の混ぜ方でふくらみ方がかわるとか、意外とここは力を入れても崩れないなど、コツをつかんだり、イメージとは違う食感の仕上がりだったり。
段取りの大切さはお菓子作りで体得した部分もあると思っている。
中でも、マフィンへのはまり具合はなかなかだった。
とても好みのレシピ本を見つけて、ほぼすべてのレシピを作ったと思う。
バター、粉、牛乳、ブラウンシュガーで作る基本の生地に、果物やクランブルを豪快にのせたレシピで、一時期はその配合を覚えていたくらいだ。
今はもう閉店してしまったが、表参道で著者が実際にお店を出していたので、ドキドキしながら食べにいったのが懐かしい。
甘くない、お食事マフィンと呼ばれていた、あめ色玉ねぎマフィンを食べた気がする。甘くないマフィンを初めて食べた私にはとてもびっくりなおいしさだった。
書いていたら、久しぶりに作りたい欲が湧いてきた。
この、食べたいよりも作りたい欲が勝るという現象は今も時々ある。
本屋さんに行けば、たくさんのレシピ本に目がキラキラするけれど、欲しい本を全部は買えないので、レシピは地元と大学の図書館で本を借りてコピーをしたり、メモをしたり、インターネットで探していた。大学ではレシピを紹介している人のブログを見てじゃんじゃん印刷していた。
写真が美しい料理本を「読む」感覚を覚えたのはこの頃だと思う。目の保養という感じ。
通っていた大学は資格を取るため授業がみっちりある上に、片道1時間半ほどかけて通っていた。それでも、帰宅して夜ご飯を食べた後にお菓子作りをはじめていた記憶がある。
21時、22時からバターを練り、粉をふるい、夜な夜な生地を作りオーブンに入れる。
焼き上がりを待つ時間、オーブンをのぞくのが好き。
始めは何も変化のない生地が、ある時からふくらみ、外側が固まったあとに、中から熱せられた生地があふれ出てまた形が変わっていく。
ふくらむと書いてあるのに、一向にその様子がないときもあった。
残り数分、焼き色を好みに仕上げたくて、オーブンの中のお菓子とにらめっこする時間。これは、今も仕事で似たようなことをしていることがある。
せっせと作ったお菓子は誰かが食べることになる。
もちろん自分も食べるけれど、連日、直径20㎝ほどのケーキ、クッキー20枚、パウンドケーキ1本、マフィン12個というような単位で作るので、消費が追いつかない。
そこで、まず登場するのが家族だ。
自分としてはいまいちの生地の食感やふくらみでも、よほどの失敗でない限り、すべて「おいしい」となる。
感激することもなく、ダメ出しがくることもほぼなく、家族が作ったおいしいものが家にあるかんじ。
作り手として、絶対に食べてもらえる安心感はあった。
次の消費先は大学の友達だった。
食べることが好きな友達が多かったけれど、お菓子作りにはまっている人はあまりいなかった印象だ。
夜な夜な作ったお菓子を友達に配り、おいしいと喜ばれ、素直にうれしかったし、もっとおいしいもの、きれいなものが作りたかった。
焼き菓子、持ち運びがしやすいものを多くつくるのは、そのものが好き、焼き色が好きということもあるけれど、作ってどこかにもっていき、誰かに食べてもらいたいということが奥底にある気もする。
もう手元にはないマフィンの写真
大学の友達の一人に写真を撮ることが好きな人がいた。
資格の勉強もするけれど、写真やそれにまつわる表現をしていきたいと色々模索していた友達。
おぼろげな記憶によれば、「20歳の記念に20種類のマフィンを作ってアルバムを作る」という思いつきで、その友達に私が作ったマフィンの写真を撮ってもらい、アルバムを作ることをした。
気に入っていたマフィンのレシピ集を真似して自分でもおいしい組み合わせのオリジナルマフィンを考えてみたかった。新しい組み合わせなんて思いつかず、「好きな組み合わせ」に終始し、よく分からないくやしさを覚えた感覚がうっすら残っている。
そのアルバムがもう手元にない今、本当に20種類作ったのか、どんな味のマフィン20種類だったのか、ぜんぜん思い出せない。
この記事を書きながら、手元にその頃作ったお菓子の写真がないのがさみしいなぁと思い、探してみたら手元に1枚だけあったマドレーヌの写真。
それをヘッダー写真にしてみた。
発酵バターと粉に消えたバイト代
アルバイトで得たお金は、製菓材料を売っているの発酵バターや様々な種類の小麦粉に消えていった。
富澤商店に行くと両手を広げたくらいの幅にたくさんの種類の製菓用小麦粉がある。ふわっと焼き上げたいシフォンケーキ向き、粉のおいしさを感じたい焼き菓子向き、サクッとした食感をだしたいクッキーにおすすめなど、粉の説明を読んでいるだけであれこれ作りたくなってしまうのだ。
2~3種類の小麦粉を1㎏単位で買ってストックし、バターとグラニュー糖、ブラウンシュガーはもちろん、粉末アーモンド、くるみ、レーズン、ラム酒も常備していた。
思い立ったらいつでも作れるように、実家の食器棚の一角は私の製菓材料コーナーとなっていた。なんて贅沢な遊びだったのか。
型や道具も色々買い集めた。
母が使っていたパウンド型では事足りず、シフォン型、マフィン型、クグロフ型、底が抜けるタルト型、色々な形のクッキー型、パティシエがケーキをデコレーションするときに使っている、ケーキをのせてくるくるする台や絞り袋、タルトを焼くときにのせる重石のタルトストーンもあった。
書けば書くほど、バイト代が消えていたことを思い出すのだけれど、今も手元にある製菓用品はかなり少ない。定番の形と自分にとってちょうどいい大きさが生き残った。
平熱のお菓子づくり
今でもたまに作るけれど、頻度は格段に減り、いろいろ考えてしまって人に渡すことも減った。
もっと確実に安定しておいしいものが買えるし、日常的に作らなくなった今は材料のストックがないので、買いそろえるところからはじめる必要があり、前よりもハードルが高くなっている気がする。
お菓子作りをやめたわけでも苦手になったわけでもないので、バナナケーキを「作りたい」日がやってきたり、ラム酒にレーズンをつけておいて数か月後にパウンドケーキを焼こう、と思いついたりする。
お菓子作りのことばかり考えていられない日常生活を送る今、お菓子作り熱は平熱を保っている。
ぼんやりと「なんとなくあれが作りたいな」と数日から数週間あたため、材料をぽつぽつと買いそろえ、最後に消費期限の短いものを買うことで、スイッチをいれる感じがある。
お菓子作りにはまっていた話を書きながら、写真を見ていたらあの頃の色々な感情が思い起こされて収集がつかなくなってきた。
自分が作ったお菓子の写真をもうちょっと見たい。でも、あんなにたくさん撮ってもらったのに手元に全然ないとはちょっと言いづらいと思いながら、卒業してから片手に収まるほどしか会っていないその友達に連絡してみた。
夕方連絡したら、なんとその日のうちに4枚の写真データを送ってくれた。
送ってもらった写真を見ていると、うれしさと懐かしさで自然と顔がゆるんで、久しぶりにマフィンを焼きたくなっている。