名前のない絵の練習をしてきた野生児の話
noteを嗜んでいるとお絵描きを勉強してる人のnoteがいっぱい流れてくる。
そうすると「あ、あの描き方に名前があったのか…」と思うことがしばしばある。
私は高校で初めて美術部に入ったものの、美術の非常勤講師にも「俺はみどりーぬには何も言わん(勝手に描いとれ)」と見放されたので図工、美術の授業以外は本当に独学であった。
なので授業以上のお絵描きの知識は皆無に近いのである。
貧乏だから塾も習い事をしたことももちろん一度もない。
そして大人になっても金と時間がないので絵を習ったりしたこともない。
というかそれよりなんとかやってみた社会人の隙間時間でのリアル同人活動ではストーキングに遭って人間恐怖症が悪化したので人間の集まりは苦手だ。
そんなわけでお絵描き用語や練習法の名称などを学ぶ機会がないまま過ごしてきた。
たとえばジェスドロ(ジェスチャードローイング)。
私は漫符なしで動きを描きたいマンなので動きを描く(脳内イメージ映像と手の神経の連動と練度を上げる)ことは自分にとって至上命題である。
というか練習時間を別枠で取ってるわけではなく常に脳内イメージは動いてるのでそれを切り取ろうと毎回描くたび必死なのである。
なので練習するとかそういう次元ではない。
私にとってはお絵描きはいつも脳内映像との戦いである。
たとえばメモリースケッチ。
なんやそないなシャレオツな名前があったんかいな…。
自分なんて「脳内イメージ焼き付け言うとったわ…。
財物の所有も許されん貧乏底辺民はそれしか描く方法なかったんや…。
というわけでそもそも私の絵はほぼメモリースケッチのみで構成されているに等しい。
たとえばコントラポスト。
昔私が真の意味で正確なデッサンの威力を体感したきっかけの漫画家さんがいたんだけど。
その方があんまりにもごく自然にコントラポストやってたから一生懸命「メモリースケッチ」してたわ。
「見ながら描く」や「模写」ではなくなぜ「メモリースケッチ」なのか。
…は前項に書いた所有せざる貧乏底辺民なことともうひとつ、小学生の時「見て描いた絵は自分の実力ではなく、下駄履かされただけ」ってことをすごく強く感じた経験があったから。
結局この漫画家さんの絵を見ながら描いたのは軽い模写(中学生の夏冬休みの自由研究)と 人生一度だけのガチ模写の時だけだったわ。
そんなわけで、体系立てて効率よく整理された絵の「勉強」や「講座」や「お教室」に一切触れたことのない貧乏底辺民の私は体当たりの泥縄で毎度描いてきた。
故にまったく絵に対しての「教養」がない、お絵描き界隈から見ると野良育ちの野生児なのだった。
ただ、講座やお教室で学べるのはあくまで最大公約数的原則論だと思う。
基本的な技というか。
応用技も教えてくれるとは思うけどそれでも多数の絵師の最大公約数的技術だと思う。
逆に独自技術だったら人により再現性がないからお教室で教えるには向かないと思う。
あと最大の問題点はその「お教室で学べる技術は習った人ならみんな習得可能」であるが故に「お教室『だけでは』自分の個性までは育たないであろう」ことである。
過去noteでも書いた高文連で入選した時、地元有名画家が講師の2校は入選数も多いが画風が押し並べて同一であり、むしろガチャガチャに個性で目立ってた自分の絵の方が感想が多く付いていたという経験がある。
その経験から仮に絵の技術を習ってもお教室の勉強だけでは「こんなPNの私の絵です!」という個性は身につかないのではないかと感じた。
逆に言えば元々描きたいものがはっきりしてる人が学ぶとそこは受講人数にもよるけど個性に合わせて教えてくれる可能性はある。
(私は弱小少人数美術部でも全然教えてもらえなかったけど)
要は、お教室は演繹法、独学で獲得した技法は帰納法である。
一般法則からの演繹で教わっても自分の個性とのマッチングは先生にマンツーマンしてもらうか自分で行わなければ身につかない。
また「マンツーマン『してもらう』」気持ちでは習ったことも時間が経つと剥がれ落ちてしまう可能性は高い。
結局「習った後にその技術について自分の個性ややりたいこととのマッチング、すり合わせ、取捨選択」を自己で行わないと習得した技術が剥落してしまう可能性がある。
そう、習っただけでは真に習得できない。
それができるなら学校の授業で習った内容を習った全員が習得できてるはずである。
なので「習う=身につく『ではない』」。
本人にとって切実度が高い内容であれば身につくと思う。
なので最終的には自分でマッチングして取捨選択する必要があると考える。
というか本人の切実度に応じて身につけられる技術はある程度淘汰されると思っている。
そんなわけで習ったものがすべて身につくとは限らない。
それが一般法則からの演繹の弱点だなあと私は思うのだった。
まあ、一切課金で習ったことないんで上記仮説は単なる野良育ち野生児の妄想の可能性もあるけど。