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とあるnoteを拝読して、自分の描き方が間違ってなかった、と胸を撫で下ろした話

ご縁あってとあるnoteを拝読させていただいて、胸を撫で下ろした話である。タイトル通り。

そのnoteがこちら。

こちらのnoterさんは饒舌ではないのですが、訥々と噛み締めるようにnoteをしたためておられます。
篤実な方なのだと思います。

で、↑のnoteに記載されている、(あの著名な)奈良美智氏の言葉が!
全部!
全部です!
私が手探りで選んで現在に至った絵の描き方を肯定してくれてるかのような内容だったのです!
びっくり!!

以下引用させていただきます。

●絵を描くときは、全てをベタ塗りするのではなく、音楽のように動きがある場所や、汚れ、いろいろミックスされている絵のほうがおもしろい。

絵について

あーわかる。わかりすぎる。
だから私下書きなしの一発描きばっかなのよ。
下書きしてー、綺麗な輪郭線引いて清書してー、パス閉じてー、バケツ塗りしてー、綺麗なグラデで塗ってー、とかとてもじゃないけどやる気が起きないのはまったく↑と同じく感じるから。
(単に根気がないだけとも言う)

●緊張して、ていねいに描きすぎるより、自分の頭の中にあるイメージをくずして、勢いよく描いてみることも大切。

絵について

たびたび書いてるけど、私は脳内イメージが手に直結できてチョーソクで描けた絵の方が気持ちいい。
できるだけ絵の核心部分が短時間に描き切れた方がはっきりすっきり描ける。
最近快便快便言ってるのがこの辺り。

●失敗した部分をどうにか直そうとするところに新しいアイデアがうかぶ。
失敗も味になるし、アイデアのきっかけになる。

絵について

あーあーわかる。
下書きなしの一発描きの面白さってまさにこれ。

●最初に描いたラインを気にしすぎず、上から重ねて行き、最後には全く違う絵になってもいい。
イメージにとらわれすぎない。

絵について

チョーソクで描けた核心部分以外は割と↑になってる。
核心部分は秒で決め打ちだけどそれ以外は描きながら浮かび上がって来たものを即興で描くことが多い。
すると最初のイメージとは変わってることは結構ある(核心部分だけは変わらない)

●絵が上手でも下手でも関係ない。
その人にしか描けない絵がある。
他人と競争するのではなく、そういうものを伸ばして行くことが、すごく大事。

絵について

両手もろてを挙げて賛成ですねー。
過去noteで私も「【描き手自身のエウレカや真実がひとつでも絵に表されていれば】、たとえぎこちなさが残る拙い絵でも私は惹かれる。」と書いたことがある。
↓以下のnoteにて。


●いろんな方法を取り入れて絵を描くと面白い。

絵について

これに異論ある人はいないでしょう。
私は飽き性なので「新しい何か」がないと描き進めないですね。
特に、「新しい何かを自分で思いついて」実行に移すのが面白いです。
他人から教えてもらった技などは、ありがたいと言えばそうだけど、ワクワクはしない。

なお、自分で思いついてワクワクしても、後から既存の技術と判明したりもよくする。
でも他人と比べて新しくなければならないのではなく、自分にとって新鮮で新たな思いつきならなんでも楽しいのである。

●自分で描こうとして描いたものより、偶然出来たしみや汚れが良かったりする。

絵について

私も「自分であらかじめ意図したものをその通り描く」より偶然の筆の運びが意外な効果を表すことを体感している。
だからこその下書きなし、一発描きなんだよね。
タグ付けが苦手なのも「あらかじめ意図された分類に押し込まれるのが窮屈で、自由に楽しく描けない」からだし。
↓タグ付けが苦手な話


●自分で自信がないものを人に見せても伝わらない。
自分で、これだと思って描いたものは人に伝わる

絵について

これ、ちょっと言葉足さないと勘違いしやすい内容だと思う。
でもその勘違いさえしなければ真理である。

その勘違いとは「自分で、これだと思って描いたもの」=「自分で描こうとして描いたもの」(前項の引用文)【ではない】ってこと。
言い換えると、「自分で、これだと思って描いたもの」=「自分であらかじめ意図したもの」(前項引用に付した拙文)【ではない】ってこと。

さらに言えば、前述した「チョーソクで描けた核心部分」=「自分で、これだと思って描いたもの」である。
もっと正確に言えば

「自分で、これだと思って『描けた』もの」

になると思う。
「これだ」と思えたのは「あらかじめ意図した仕込みで描いたものじゃなくて」、

「ある種の偶然のようにたまたま描けちゃったもの(なんだけど、そうやってたまたま描けるようになるには基礎の蓄積に裏打ちされた一定以上の技量が必要)」

だと思う。
あらかじめ意図した仕込みの不毛さについては過去にも書いた。
ただし文章についてだけど。

> だって、書きながら、ここのインパクトいいぞ、とか、ここで読者を引きこむぞ!とか、考えながら書きますよね。

某作家志望の方の発言。私ではない。

某作家志望の方の↑の文言を読んで私が書いたのが以下。

こんなこと考えながら書かれたものは私は読まないし、仮にどうしても読まなきゃならないとしたら評価はしないなあ。
少なくともゾーンに入って書ける人は「他人からこう見られたい」とかいうキョロ充はしないし。
それ以上に気になるのは、どこにインパクトを感じるかは読者に委ねられるものではないかということ。
なのに「ここで読者を引きこむぞ!」などと書き手がそれをコントロールしようと思うのは、ある種の傲慢じゃないのかなあ。
「ここのインパクトいいぞ、とか、ここで読者を引きこむぞ!」というのは作者の自慰的思考であり、読者にそれを感じさせたら一瞬で萎えさせ、読む気力を折ることになる。
作者の自己陶酔する姿を見せられたら、読者としてはドン引きするんだけどなあ…。

自分の経験則と他の方の知見から言えば「他人からこう見られたい」というキョロ充仕草は作品の質を高めるどころか余計な夾雑物、ノイズにしかならないんだよね。

クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。

同シリーズの3回目でも言及した(超長い。よほど言いたかったらしい)

これ、第一回でも指摘したけど究極の作者のオナニーなので、こういう「作者側の恣意的な意図」は読者としては金をもらっても見たい代物ではない。
けど、こういうのが読者にバレるはずない、とタカを括ってる作者の文章には作者の意図がこびりついたまま伝わってしまう。
タカを括ってない作者は意図しないので当然バレるネタ自体がそもそもなく、タカを括ってる作者の意図は読者にバレる。
皮肉ですが当然の帰結です。

まあ、深く読み込んでくれるディープな読書好き層でなく、浅く読み捨てる大多数のライト層にさえウケればそれでいいや、という書き手ならそれでもいいかもしれません。
一見さんだけ狙ってリピ客の付かない、美味しくはないけど映える観光客向けのお高いお食事の店みたいなものかな。
そうなると心からのファンは付かないですけどね。

なので、少なくとも私は書き手としてもやらないなあ。
私は絵描きだから小説じゃないけど、絵でも同じ。
絵を描きながら、「ここでインパクト!ここで引き込むぞ!」なんて余計なことは考えない。
そういうのは単なる雑念でしかないので。

作者の「想定」した「インパクト!」は読者にとっても「想定内」に収まるので、実は作者の考えるほどに大したインパクトじゃないんですよ。
でも空気読んで褒めそやしてくれる心優しい読者もそれなりにいるから、作者は「しめしめ想定通りインパクト与えたわ!」ってドヤれたりもするけど。
でも、そんな想定済インパクトは、「雑念なく脳内イメージに極限まで迫った結果核心を突いた作品」のインパクトに比べたら、ささやかなものなのよ。
(略)
要するに「ここでインパクト!ここで引き込むぞ!」とか考える余裕があるだけ創作そのものに集中してない、という意味になるのよ。
ホントに集中してたら自我すらなくなるのよ。
脳内イメージとそれを見つめる自分の目、それら以外の存在は世界から全て消え失せてしまうくらいの状態が集中なのよ。

話を戻してそもそも論で言えば、書き手本人の思い入れなんて読者とは無関係なのよね。
作者が想定した場所にインパクトを覚えてあげる必然性は読者側にはないのよ。
いくらインパクト与えてやろうとか引き込んでやろう、と作者が意気込んだとしても、それは読者に課せられた義務じゃない。
これ、前にも指摘したけど「読者をコントロールしたいという傲慢さ」に繋がり得るので、私はこの考え方はお勧めしない。
少なくとも私なら読者としてはノーサンキューですね。

クセェ文章、スケベ心?そりゃアカンわ。そりゃあね。3

ええと、超長いので一言で言うと、

あらかじめ意図した作為的な仕込みは作者の自慰であり、かつ読者をコントロールしてやろうという書き手の傲慢さであり、作者がゾーンに入れてない証拠なのでいくら本人が頑張ってるつもりでも、読者にとって見るべき質(インパクト)の作品にはならない

ってことです。

なんかすごい脱線してしまった。

ええとつまり、奈良美智氏の言うところの
「自分で、これだと思って描いたもの」

「ここでインパクト!ここで引き込むぞ!」
という作者の恣意的コントロール欲求によるものではなく、

「描いてみたら意図せずたまたま生まれた、描き手本人にも意外で新鮮に『描けちゃった』ので『ああ、自分が描きたかったのはこれだったのかあ』と描けてみて初めて確信できるようなもの」

のことだと思う。
そうでないと

●自分で描こうとして描いたものより、偶然出来たしみや汚れが良かったりする。

絵について

と齟齬になっちゃうから。
で、

●自分で自信がないものを人に見せても伝わらない。

絵について

の【自信】が「『ああ、自分が描きたかったのはこれだったのかあ』という【確信】」
だと思う。
実際この【確信】がない絵を私は外部に出さない。
それ以前に【確信】がないと描き進めることができないので、絵として完成しない。
ので、外部に出した絵=何らかの【確信】を大なり小なり掴めた絵、ということになる。

たぶんそのおかげだと思うけど、ひと月ほど前に出来心で始めた海外お絵描きSNSでは、どんな絵でも(たくさんではないけど)ファボや時に熱いコメントがもらえる(今日ももらった)
日本ではほぼガン無視されてるけどね。
まあ、日本の絵師さんには嫌われてるのだろう。

そもそも昔から同人活動しても好かれるより恨まれてストーカーにしか遭わなかったし。
ストーカーにいちいち狙い撃ちLoRAみたく私の絵をストーキングされて、私の描き方取り入れても(取り入れたつもりでも)ちっとも画力向上しない底辺のヘッタクソのくせにさもさも自分の画力で描いたような顔でお仲間同士でお追従ついしょう言い合ってこちらはガン無視だし(私の絵をストーキングしなかったらその絵も描けなかったくせに)
取り入れたつもりなのに画力向上してないと気づいたらさらに恨みの目でこっち見てはストーキング酷くなるし。
ストーキングへの我慢の限界で抗議したら集団で抹殺に来るし。
ホント狙い撃ちLoRA作る人とおんなじメンタリティだったなあ。
私の絵のストーカーズ(複数)は。
イェーイ見てるぅ?過去のストーカーズさん達wんなわけないかwwwww

まあ今は私も歯に衣一枚も着せてないからアンタッチャブル扱いで人が寄ってこないのも当然なんだけど。

またまた大幅に脱線してしまった

結局のところ、少なくとも私が手探りで選んで来た今の描き方は間違いじゃないよ、とお墨付きをもらったようで、とても嬉しくなった。
そりゃあね。
さすがに狙い撃ちLoRA的ストーキングで描くよりははるかにまともな描き方だとは思う。

というわけで、ご紹介したnoterさんがしたためてくれたnoteのおかげで、私は元気が出ました。
ありがとうございます。
本当に感謝なのです。


眼から描き始めて周囲は後から足してった絵。
クソシンプルだけどこれでちゃんとファボもらえるのである。
自分は描いてて楽しかったし。
つるんと0.3秒(体感)で描けた上瞼とか。
少ない線でもある程度の構造や立体を含めて描けたと思う。
そういうのが「描いてて楽しい絵」である。
私にとってはね。
つまり、快腸快便そのもの。

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