とあるnoteを拝読して、自分の描き方が間違ってなかった、と胸を撫で下ろした話
ご縁あってとあるnoteを拝読させていただいて、胸を撫で下ろした話である。タイトル通り。
そのnoteがこちら。
こちらのnoterさんは饒舌ではないのですが、訥々と噛み締めるようにnoteを認めておられます。
篤実な方なのだと思います。
で、↑のnoteに記載されている、(あの著名な)奈良美智氏の言葉が!
全部!
全部です!
私が手探りで選んで現在に至った絵の描き方を肯定してくれてるかのような内容だったのです!
びっくり!!
以下引用させていただきます。
あーわかる。わかりすぎる。
だから私下書きなしの一発描きばっかなのよ。
下書きしてー、綺麗な輪郭線引いて清書してー、パス閉じてー、バケツ塗りしてー、綺麗なグラデで塗ってー、とかとてもじゃないけどやる気が起きないのはまったく↑と同じく感じるから。
(単に根気がないだけとも言う)
たびたび書いてるけど、私は脳内イメージが手に直結できてチョーソクで描けた絵の方が気持ちいい。
できるだけ絵の核心部分が短時間に描き切れた方がはっきりすっきり描ける。
最近快便快便言ってるのがこの辺り。
あーあーわかる。
下書きなしの一発描きの面白さってまさにこれ。
チョーソクで描けた核心部分以外は割と↑になってる。
核心部分は秒で決め打ちだけどそれ以外は描きながら浮かび上がって来たものを即興で描くことが多い。
すると最初のイメージとは変わってることは結構ある(核心部分だけは変わらない)
両手を挙げて賛成ですねー。
過去noteで私も「【描き手自身のエウレカや真実がひとつでも絵に表されていれば】、たとえぎこちなさが残る拙い絵でも私は惹かれる。」と書いたことがある。
↓以下のnoteにて。
これに異論ある人はいないでしょう。
私は飽き性なので「新しい何か」がないと描き進めないですね。
特に、「新しい何かを自分で思いついて」実行に移すのが面白いです。
他人から教えてもらった技などは、ありがたいと言えばそうだけど、ワクワクはしない。
なお、自分で思いついてワクワクしても、後から既存の技術と判明したりもよくする。
でも他人と比べて新しくなければならないのではなく、自分にとって新鮮で新たな思いつきならなんでも楽しいのである。
私も「自分であらかじめ意図したものをその通り描く」より偶然の筆の運びが意外な効果を表すことを体感している。
だからこその下書きなし、一発描きなんだよね。
タグ付けが苦手なのも「あらかじめ意図された分類に押し込まれるのが窮屈で、自由に楽しく描けない」からだし。
↓タグ付けが苦手な話
これ、ちょっと言葉足さないと勘違いしやすい内容だと思う。
でもその勘違いさえしなければ真理である。
その勘違いとは「自分で、これだと思って描いたもの」=「自分で描こうとして描いたもの」(前項の引用文)【ではない】ってこと。
言い換えると、「自分で、これだと思って描いたもの」=「自分であらかじめ意図したもの」(前項引用に付した拙文)【ではない】ってこと。
さらに言えば、前述した「チョーソクで描けた核心部分」=「自分で、これだと思って描いたもの」である。
もっと正確に言えば
「自分で、これだと思って『描けた』もの」
になると思う。
「これだ」と思えたのは「あらかじめ意図した仕込みで描いたものじゃなくて」、
「ある種の偶然のようにたまたま描けちゃったもの(なんだけど、そうやってたまたま描けるようになるには基礎の蓄積に裏打ちされた一定以上の技量が必要)」
だと思う。
あらかじめ意図した仕込みの不毛さについては過去にも書いた。
ただし文章についてだけど。
某作家志望の方の↑の文言を読んで私が書いたのが以下。
同シリーズの3回目でも言及した(超長い。よほど言いたかったらしい)
ええと、超長いので一言で言うと、
あらかじめ意図した作為的な仕込みは作者の自慰であり、かつ読者をコントロールしてやろうという書き手の傲慢さであり、作者がゾーンに入れてない証拠なのでいくら本人が頑張ってるつもりでも、読者にとって見るべき質(インパクト)の作品にはならない
ってことです。
なんかすごい脱線してしまった。
ええとつまり、奈良美智氏の言うところの
「自分で、これだと思って描いたもの」
は
「ここでインパクト!ここで引き込むぞ!」
という作者の恣意的コントロール欲求によるものではなく、
「描いてみたら意図せずたまたま生まれた、描き手本人にも意外で新鮮に『描けちゃった』ので『ああ、自分が描きたかったのはこれだったのかあ』と描けてみて初めて確信できるようなもの」
のことだと思う。
そうでないと
と齟齬になっちゃうから。
で、
の【自信】が「『ああ、自分が描きたかったのはこれだったのかあ』という【確信】」
だと思う。
実際この【確信】がない絵を私は外部に出さない。
それ以前に【確信】がないと描き進めることができないので、絵として完成しない。
ので、外部に出した絵=何らかの【確信】を大なり小なり掴めた絵、ということになる。
たぶんそのおかげだと思うけど、ひと月ほど前に出来心で始めた海外お絵描きSNSでは、どんな絵でも(たくさんではないけど)ファボや時に熱いコメントがもらえる(今日ももらった)
日本ではほぼガン無視されてるけどね。
まあ、日本の絵師さんには嫌われてるのだろう。
そもそも昔から同人活動しても好かれるより恨まれてストーカーにしか遭わなかったし。
ストーカーにいちいち狙い撃ちLoRAみたく私の絵をストーキングされて、私の描き方取り入れても(取り入れたつもりでも)ちっとも画力向上しない底辺のヘッタクソのくせにさもさも自分の画力で描いたような顔でお仲間同士でお追従言い合ってこちらはガン無視だし(私の絵をストーキングしなかったらその絵も描けなかったくせに)
取り入れたつもりなのに画力向上してないと気づいたらさらに恨みの目でこっち見てはストーキング酷くなるし。
ストーキングへの我慢の限界で抗議したら集団で抹殺に来るし。
ホント狙い撃ちLoRA作る人とおんなじメンタリティだったなあ。
私の絵のストーカーズ(複数)は。
イェーイ見てるぅ?過去のストーカーズさん達wんなわけないかwwwww
まあ今は私も歯に衣一枚も着せてないからアンタッチャブル扱いで人が寄ってこないのも当然なんだけど。
またまた大幅に脱線してしまった
結局のところ、少なくとも私が手探りで選んで来た今の描き方は間違いじゃないよ、とお墨付きをもらったようで、とても嬉しくなった。
そりゃあね。
さすがに狙い撃ちLoRA的ストーキングで描くよりははるかにまともな描き方だとは思う。
というわけで、ご紹介したnoterさんが認めてくれたnoteのおかげで、私は元気が出ました。
ありがとうございます。
本当に感謝なのです。