マルコヴァルドさんと私
最近、自分が読みたい本を沢山図書館で借りて読める様になってご満悦な日々。
👆こんな、小学生高学年以上が対象とされる様な本を読んで、深いなぁ、と改めて思います。
民話や創作のファンタジーを含むお伽話というものは、人生を善く生きる為の倫理道徳以上の生の根源たらしめる何かとの繋がりを持って人は生かされているんだ、という潜在的な無意識のところにまで刺激を及ぼすパワー持っているなと、私は思っています。不思議だけど、初めから知っていた様な、知っているけど思い出せない様な、知らないのに知っている様な、ほんとに言いようのない世界に連れて行ってくれるので、怖い思いもしますが、ちゃんと安全なところへ戻っていく道筋を辿っているのだという自信や安心感は、何かに対する信頼があるからこそ読めるし、人は生きられるのかも知れませんね。お伽話の世界では霊的と言うよりも、人間は、その源、ソース、ユニバース、宇宙とか、法則などに委ねられる様にできているのだということが、俯瞰してストーリーを読んでいるこちら側にはわかっています。
ところで、この写真の中に一冊だけ、お伽話でないものが含まれています。
『マルコヴァルドさんの四季』です。
著者のイタリアのイタロ•カルヴィーノという人は、イタリアの各地を回ってイタリアに古くからある民話を集めて再編した人でもあります。
この著書は、著書自身のキャラクターが強く現れたエッセイの様な調子で描かれていますが、本当に面白くて、電車の中ではうっかり読み始めたら、笑ってしまって、これは家で読まないとまずいなと思ったほどでした。
マルコヴァルドさんって、私?かも知れない、これは自分もやりかねないぞ、ということを感じたままやったりしてしまいます。そして必ず周りに迷惑をかけたり困ったことになるのですが、肩をすくめて終わり、という感じがまた良いのです。
マルコヴァルドさんは間違いなく、自然をこよなく愛し、求める『繊細さん』タイプの人なので、都会の中で自然を探しながら生きようとするとどうしても、苦肉の策やら、社会規範スレスレの変なことをしないといけなくなるのです。
皆さんにも是非、読んで笑っていただきたいのですが、これは、万人にわかるユーモアではないかも知れません。
こんな人他にもいるんだ、っていう驚きと、喜びで、彼のことが愛おしくなりました。
引き続きお伽話を次々と読んでいきたいと思います。
子供の頃も、同じ様に、一つ読むと巻末の他の刊行本のリストを見ては直感で選んでいきます。
今は、題名をググって大まかなあらすじを知ってから選ぶこともできるので、本屋に長い時間立って、背表紙と睨めっこする時間も必要ありませんね。まあ、あの時間も嫌いではなかったですが、今の私の年齢ではキツいです。
図書館が、駅にあるので助かっています。
読んで気に入ったら絵本屋さんに行って買います。
こうしてのんびりしている間に、夫が着々と家事や用事を着々とやってくれるのはありがたいが、自分が思うことしかやらないので、私は私でまた別のタイミングで別の用事に椅子を立つという風で、二人は同じ空間同じ時間でもって全くデュアルな別の人生を歩んでいる生き物と云える。パラレルワールド。
みんなそうだよね。
みんな違ってみんな生きてる。
The purpos of life is to know yourself, love yourself, trust yourself, and be yourself.