吉澤ゆう子歌集『緑を揺らす』

吉澤ゆう子さんの歌集『緑を揺らす』読了。対象物の描写がとても正確で厳密なのですが、その正確な写生のまま暗喩や心情の吐露があり、妙な危うさを文語旧仮名のきっちりした文体でバランスをとっているという印象を受けました。ご家族の歌も多いけれど、私は生活を感じさせない歌に惹かれました。
私は季節感の捉え方がステレオタイプだったり、連作の中での季節感がバラバラだったりするのが気になるタイプですが、吉澤ゆう子さん『緑を揺らす』での季節感の表現は、既成概念に寄りかかった形容詞に頼らず、仔細な観察に基づく正確な描写に説得力があると思いました。好きな作品を紹介します。

たちまちにビニールの温度取り戻す子の去りし後ピアノの椅子は   吉澤ゆう子『緑を揺らす』
一義的には当然、座っていたお子さんの体温の熱が冷めただけなのですが、読者としては主体とお子さんとの物理的な距離、さらには心理的な距離もほんの少しだけど確実に離れたのだと感じざるを得ません。

乗り換への要らぬ電車にかなしみはかなしみのまま陽を受けてをり   吉澤ゆう子『緑を揺らす』
墓参りの一連より。作者とその一行がかなしみの器であり、乗換えに気をとられる必要もなく、純粋なかなしみを抱えて夏の強い陽射しにさらされているのだと読みました。

話すこと話さぬことの総量を収めてひとは夜を眠るなり   吉澤ゆう子『緑を揺らす』
父の故郷である硫黄島を訪れた一連より。父の一族は疎開し、軍事利用された島は現在無人です。一首前では伯父が鯨の潮吹きの話をしていますが、言えないことも多いのでしょう。

伝へても伝へなくても苦しきを 夕光に照る秋のたんぽぽ   吉澤ゆう子『緑を揺らす』
何を抱えて苦しんでいるのか書かず、下句で突然植物に飛んだのが良いと思いました。たんぽぽも春や青空
などのパブリックイメージから離れているところが好きです。

担任の破り棄てるをただに見る専願のためのうすき一枚  吉澤ゆう子『緑を揺らす』
私も系列の大学に内部進学せずに指定校推薦で他大学を受験しましたが、推薦を希望したことで内部進学の資格を失ったときの後戻りできないという恐怖感は今も忘れられません。

恋すればすなはちくらき魚をとなりみづからみづへ渡りゆくなり   吉澤ゆう子『緑を揺らす』 魚=うを
魚って冷たくてぬるっとしていて生臭いし、手で触られただけで火傷するし、新鮮な水の中で泳ぎ続けていないと苦しそうだし、確かに恋みたいですね。

声よりもわがこゑであるチェロを容れハードケースは背に平らなり   吉澤ゆう子『緑を揺らす』 容=い
自分が発する声が自分の思いを伝える術としてはうまく機能せず、むしろチェロの方が的確に表現できるのでしょう。だからこそ大きくて重くて硬いケースを懸命に運ぶのでしょう。

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