小田桐夕歌集『ドッグイヤー』
小田桐夕さんの歌集『ドッグイヤー』読了。小田桐さんの作風は詩人タイプでありながら、観察や描写の細かさは俳人の眼という印象を受けました。小田桐さんの実際の性格は知りませんが、作品全体的に隙がなく、かなり几帳面で真面目な性格の主体であるという印象を受けました。
私は観念や比喩を駆使した作品より、素材の鮮度で勝負するような生っぽい短歌が好きですが、小田桐さん夕の短歌に限って言えば、実生活が推測できるような短歌よりも、詩歌のフィルターを二回くらい通したような作品の方が好きです。『ドッグイヤー』から好きな作品をいくつか紹介します。
つながうとおもへばつなげた指さきをみづにかへせば泡であること 小田桐夕『ドッグイヤー』
相聞と読みましたが「指さき」は実在する生身の人間のものというより、恋慕いながら掴むことを躊躇した存在を象徴するものという印象を受けました。
はちみつの垂るる速度のなめらかさ こんなふうにゆるしたらよかつた 小田桐夕『ドッグイヤー』
ほぼ一定の速度で垂れるというだけでなく、温かみと光を感じる色合いや甘さまで含めて「はちみつ」ですが、仮定法過去完了なのでもうゆるすことはできません。
のぞいたらおそらく見える傷のこと河と呼ぶのは傲慢ですか 小田桐夕『ドッグイヤー』
どんなに親しい関係でも他者の隠れた傷を河と定義してしまうのはやはり傲慢だと思いますが、この場合は自分の傷のような気もします。
ふかふかのタオルハンカチ折りたたみ方形をさらに方形にする 小田桐夕『ドッグイヤー』
タオルハンカチを折りたたむことを「既に方形のものをさらに方形にする行為」と捉える精神状態はかなり限界な気がします。「ふかふか」が緊張感をさらに高めているように感じました。
ながらくを帰らぬ故郷とほくからオブジェとしてなら たぶん愛せる 小田桐夕『ドッグイヤー』
多分、一字空けの間に本当に故郷を愛せるかどうか自問自答したのでしょう。人間関係やインフラはもちろん、土地の匂いや日差しも抜きでの愛ですね。
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