小沢健二
千葉聡の歌集『微熱体』を初めて読んだのは二十代の頃だった。当時、推理小説好きだった私は、面白そうな本格ミステリの情報を求めて、読書サイトを眺めているうちに偶然に知ったのが千葉聡の短歌だった。
高校時代、福島泰樹歌集『バリケード・一九六六年二月』にハマった私は、連作として大きな物語を感じさせる短歌が好きなので、『微熱体』で描かれるアメリカの青春群像劇を彷彿とさせる世界に夢中になった。
「見せてくれ心の中にある光」小沢健二も不器用な神
千葉聡『微熱体』
一九八〇年代末のバンドブームの爛熟期、小沢健二と小山田圭吾の二人組「フリッパーズ・ギター」の登場は衝撃的だった。彼らには派手な衣装もメイクも無闇に乱暴な音もなく、ひたすら洗練されていた。フリッパーズ・ギター解散後も、小沢健二の華々しい活躍は続いた。
小沢健二は、夏の海辺や冬の街や教会前の通りに月が浮かぶ夜、そんな数々の鮮やかな風景を描き、主体はバスルームで髪を切ったり、彼女とスケートをしたり、プラダの靴を買いに出かけたり、背伸びをすれば届きそうでいて、現実には決して届かない素敵な世界を生きていた。
前出の短歌は、大学卒業後もサークルの部室で居着き、アルバイトをしながら演出家や女優を目指す劇団員をめぐる一連の中にある。鉤括弧で括られた部分は、小沢健二「ある光」の歌詞の一節である。この曲はハイペースで新曲を発表していた小沢健二が、突如、渡米して長い休養期間に入る前に発表されたことでも知られている。
演劇でも音楽でも短歌でも、宇宙を構築するのは、その宇宙の神となる行為だ。どんなに才気あふれた人間であっても、光を模索しながら不器用に宇宙を作り上げているのかも知れない。
※塔2023年3月号わたしのコレクション「ロック・ポップスの歌」より転載しました。
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