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「普通」を演じる辛さ
こんにちは。マジョリティにもマイノリティにもなれない“ミドリティ“のためのコーチ、たまおひろこです。
前回の記事では私の[サーカス鑑賞をしてると心がザワザワ、ハラハラしてしまう]、そんなこじれたミドリティならではの感情のバックグラウンドは何か、という記事を書きました。
今回はさらに、このサーカスを見てハラハラする私は、“サーカスの何が嫌なのか“、をよりふか〜く深ぼってみたところ、これだ!と納得できた事実がわかりました。
無意識にある「努力しないとダメ」
実は自分は「死ぬほど努力をしている人」だったということを知る
私は、サーカスショーの舞台裏にある、”血が滲む(?)ような努力”に反応をしていました。
なんせ、マジョリティにもマイノリティにもなれないミドリティは、死ぬほど努力してマジョリティ寄りに見せていて、それを微塵も感じさせぬような笑顔だったり、立ち居振る舞いをしています。
※ミドリティって何よ?という方はこちらの記事から、、。
自分にとって“舞台上“となっているのは、普段の生活。
サーカスショーの中に、マジョリティに見せるためにめちゃくちゃ裏で努力をしている姿<自分>を見て、その姿に吐き気がしていたんです。
同じ原理で、芸能界の子役全般を観てはいられませんでした。
あの子たちは自分で好んで演ってますけれど、泣きながら特訓している風景とか子供の域を超えて、めちゃくちゃ努力する姿、そしてショー当日に、みてる大人に対して満面の笑みや涙を演じる姿に吐き気がしてたんです。笑
子役で一番見れなかったのは、ミュージカル アニー。
今は、「自分で好きでやってんだもんな〜」と客観的に見れますが、当時は見るだけで本当に顔を歪めてしまうほどでした。
あれって、舞台裏が超体育会系で、めちゃくちゃ過酷でしょ。
つまり私は、アニーの子役ばりに必死に「普通に皆から突出することなく馴染むマジョリティ」を演じていた、ということです。笑
鏡の法則
自分が演じているからこそ、“人が演じる姿“にハラハラする
これはまさに、等身大の自分を超え過ぎている自分の姿を映し出すものなので、人それぞれでハラハラする場面が違います。
ある友人は、
「昔モテてこなかった人が、かっこつけて今モテようとしている姿を見ると、目も合わせられないくらいハラハラしてしまう。」と言っていました。
友人は、長らく銀座の老舗店の蝶としてトップクラスをやっていたので、本来の自分とギャップはあっても、相手目線の女性をとことん演じていた自分を見ていたのではないか、、と思います。
ちなみに、私は、「それはちょっとダサ可愛いさがありませんか?」と思っていたので、自分はそこまで異性寄りに演じきれなかったのだと推測します。笑(結果を見て納得)
「私はこれにハラハラしちゃいます、、!!」という物事から、【あなたが等身大をはるかに超えて頑張っているところ】が何かわかるって面白くありませんか。
「これって、そう?」という場合、ぜひ貴方の心と感性を分析させてください。