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澤村斉美さんの『紫陽花と金魚』がすばらしかった

角川短歌7月号に掲載されている澤村斉美さんの『紫陽花と金魚』28首がすばらしかったので、その感想を書きます。

白い花ぬいだあと少しずつくるふ辛夷(こぶし)はただの木として日々を
ウイルスと菌の違ひに「ほー」と言う生きてる人ら画面に並び

春の訪れを告げるこぶしの木に咲く白い花は、春の終わりとともに花を落としてただの木として日々を過ごす、という風景描写の中に「少しずつくるふ(狂う)」という不穏な言葉が入っていて、何のことかなと思っていると、次の首でコロナが出てきて、コロナ禍で我々の生活が「少しずつくるふ(狂う)」ということを暗示しています。
さりげない不穏な言葉を後ろで回収するという連作ならではの見事な技法だなと、感銘を受けました。

胸の内の子を消し働く昼とああやめてしまへと鉛筆が言う

心の中にある子どもの心を押し殺して、昼間に大人として働いているんだけど、幼少期から使っている鉛筆が「そんな大人になることをやめてしまえ」とそそのかす。
作品の中で一番共感した短歌です。
こういう瞬間ってあるんですよ、なんか子供みたいなことをいう素敵な同僚とか取引先とかに大人な対応をしていると、急にブチ切れてすべてを投げ出したくなる感じ。
この「ああ」の使い方が的確すぎるんですよ、口に出して読んだ時にもリズムが出るし、投げやりな感じが表現されているし。
これも連作のすごさで1首目に「子と夫」『はらぺこあおむし』が出てくるので、この作者が、小さい子供を持つ母親であることがわかるんで、世代的に中間管理職くらいなんだなあってすんなり想像できるんですよね。

はつなつの光はすこしつよくなり子らのジェンダー砂へ駆けだす
性淡く過ぎてゆく日々碧き実のブルーベリーは薄くぬれをり
フライパンでお花を料理してゐたと砂場には散る黄すみれの花
女でしょママはと分類されながら風吹き抜ける白シャツを着る

子どもが砂場でごっこ遊びをしていて、無意識に子供たちは、男性の役割と女性の役割を演じている。
「子らのジェンダー砂へ駆け出す」がどういう意味かなと思っていたら、砂場でごっこ遊びをするときに子どもがなんの疑いもなく、「女性が料理をする」というジェンダーロールに縛られていたということがわかってくる。
これも「ジェンダー」という言葉がフリになってて、無垢な子ゆえにジェンダーの問題の根深さを感じている親なんだけど、その違和感を子どもに伝えようもないという戸惑いを「風吹き抜ける白シャツを着る」でとりあえず投げ捨てて仕事に行く感じが、ポリティカルコレクトネスと生活をいちいち天秤にかけないといけない我々世代の生きにくさを象徴するシーンの切り取り方ですばらしい。

日本といふ金魚が飼はれてゐるのだよ0(スタジアム)には雨水満ちて
トローチの穴の向こうに何もない夏が来てをりスタジアムにも

これはまず「0(ゼロ)」に「スタジアム」というルビを振るのが、すごいなと。
おそらくオリンピックが行われる国立競技場が空から見たときに「0」の形をしていることを指しているんだと思うんですけど、さらにルビを「国立競技場」とせず、「スタジアム」にしているところも心憎い。
ストレートな政治批判系の短歌って個人的にしっくりこないんですよ、短歌ってやっぱり詩だと思うので。
この2首のすごさは、徹底して詩であるということに尽きると思います。
あと、「トローチ」っていう言葉のチョイスがすごい。
当然オリンピックが頭に浮かんでいる読み手は「トーチ」が浮かぶんですよ。
しかもトローチの形状が「0」になっているので、前の歌からイメージの断絶が起きない。
タイトルになっている「金魚」がこの歌で出てくるんですけど、金魚のイメージは夏で、オリンピックが行われるのも夏。
いやあ、もう天才。
オリンピックへの想いは人それぞれだと思うんですけど、そういう政治的なテーマについて、思想信条にかかわらず評価できる短歌って職人の積み木細工みたいな繊細な作業が必要なので、本当にすごいと思います。

ポケットにはちみつの飴ももの飴 労働ののち舌を甘くす

最後の歌がこの1首。
ありふれた仕事終わりを歌いつつ、「飴」がここまでに出てきた「雨」と同じ音になっているという遊び心。
そして、1首目が夫と子どもと川の字になって寝ている描写なんですけど、この最後の歌が家に帰るところなので、1首目にループするんですよ。
マジですごい。
ループするのにも意味があって、生活って続くんですよ、否が応にも。
で、生活する中で、色々思うことがあるんだけど、行ったり来たりしながら、同じような日々を過ごすしかないんですよね。

以上です。
勝手な解釈が色々入っているので、作者の澤村さんの意図と全然違う部分もあるとは思うのですが、この興奮をどうしても文章にしたくて、なにとぞご容赦いただけるとありがたく存じます。
あと、紫陽花の方の歌が読み解けなくて、これはじっくり考えようと思います。
去年の冬ごろから短歌を詠み始めて、ずっと角川短歌に掲載されている作品を読んできたんですけど、同年代の方の作品が少なかったりして、なかなか心からすごいなと思える作品に出会えてなかったのですが、完全にやられました。
あとでネットで調べたら澤村さんは1979年生まれで、自分は1984年生まれなんですけど、ちょうど仕事とか家庭とかで色々思うことが想像できるのと、あと、圧倒的に読みやすかったんですよね、そこがすごすぎました。
毎月、角川短歌に掲載されている作品は全部読んでるんですけど、え、何、短歌って漢字検定1級持ってないと詠んじゃダメなの、と思うくらい漢字が難しくて、その漢字の読み方とか意味を調べているうちに、体温が下がっていくんですよ、まあ、自分が無知なだけではあるんですけど。
あと、28首の構成が見事です。
数首ずつで場面が変わるんですけど、音やイメージが重なるように工夫が凝らされていて、そのグラデーションがちょっと曖昧になっているので、すんなり次の場面に気持ちが入っていけるんですよね。
これが「歌人」と呼ばれる人の作品なんだなと。
こういう短歌を詠めるようになりたいです。

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