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短歌五十音(へ)辺見じゅん『水祭りの桟橋』『天涯の紺』

父母を詠む情念

辺見じゅん(1939-2011)は、歌人であり、ノンフィクション作家。
映画化された『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』や『男たちの大和』の著者としても有名である。
辺見の父は、角川書店を設立した角川源義げんよし(1917-1975)。
源義は、自身も俳人であり、短歌総合誌『短歌』の創刊者でもある。
辺見の母は、辺見が小学校4年生のときに離婚し、その2年後に再婚した照子が辺見の育ての母となる。
この3人の関係性については、源義が、師事していた民族学者・国学者の折口信夫に破門される原因の一つとして、学生時代に折口に隠して結婚して辺見を産んだことにあるなど、さまざまに複雑な話があり、辺見じゅん(娘)、角川源義(父)、角川照子(母)の間にある感情は一筋縄にはいかない。

(本の話:映画『ラーゲリより愛を込めて』原作者・辺見じゅん。父であり角川書店創業者・源義との「死後の親子」関係とは!?)

本稿では、「父の死」が一つのテーマとなっている『水祭りの桟橋』(1981。第2歌集)、「母の死」が一つのテーマとなっている『天涯の紺』(2010。第6歌集)から、印象的な歌を引いていきたい。

夏帽のひとつを追ひて見失ふ壮年の父の影は痩せつつ

「露けき桃」『水祭りの桟橋』

書き終へて手紙のかなた霧こむる黄泉比良坂父を顕たしむ

「火を濡らす」『水祭りの桟橋』

老い痴れの父を見ざるは至福とも萌黄木の芽のわがしづめうた

「しろがねの座」『水祭りの桟橋』

1首目、「壮年」は働き盛りの年頃。夏帽を追っていたら見失ってしまったという光景と壮年の父の影が痩せているという光景が重ねられて描写されている。どこかぼんやりとした記憶の中の父の描写のよう。
2首目、「黄泉比良坂よもつひらさか」は、神話における生者の世界と死者の世界の境にあるもの。主体が手紙を書き終えて、黄泉比良坂に父を顕たせたという場面描写。亡くなってしまった父に対する執着にも似た強い追慕の情がある。
3首目、老いたりボケたりした父を見ないということは、翻って父が元気なうちに、すなわち若いままに亡くなったことを指すのだろう。そのことに複雑な感情を抱いていて、歌によって自らの感情を鎮魂するようである。

あつき酒うたの木霊の過ぎゆきを父にくぐもる兵の日の唄
きれぎれのゆめのなかよりあらはれてほれぼれたのし父のどぶろく
濁り酒にごるがなかに溺れゆき父の世紀の西方にいづ

「父の世紀」『水祭りの桟橋』

父の世紀と題された一連には、主体の父との日々の記憶が印象的に詠われる。
1首目、酒に酔った父が唄を歌っている。その歌に父の戦争に従事した記憶が垣間見えることを「くぐもる」という描写によって繊細に感じ取れる。
2首目、主体にとって父との楽しい記憶はとてもよいものなのだろう。かなが多く、きれぎれ、ほれぼれといったリズムの良い語が使われていて、父との記憶が爽やかに詠われている。
3首目、一方、そんな楽しい記憶をいくら思い出しても父はいない。どぶろくのにごりに父がはっきりとは見えないことが示唆される。もう戻れない現実を透明じゃない色から感じ取れる。

ことだまを抱へ生きよと父うたふ われ父をうたふにあらず

「胸の地蔵会」『水祭りの桟橋』

短歌だけでなく、詩歌や広く出版で時代を作った父源義。言葉の魂である「ことだま」を抱えて生きよという言葉を受けて、父を詠っているのではないと応える辺見は、まさに父の存在そのものに魂の根幹を感じて大事に生きているのであろう。
4句目の「われ父を」の5音の字足らずによってあえて韻律が崩されていることによって、言葉が強く迫ってくる。

強いノスタルジーや信念の垣間見える父に関する歌に対して、母に関する歌は生活を取り巻くものから詠われる素朴なものが多い。

母の齢ほどにともれる茶の花のしろき夕べを冬深むらし

「家神」『天涯の紺』

惚けゆく老母のうたふ糸ぐるま日本の日の丸なぜなぜ赤い

「とけいの森」『天涯の紺』

やはやはと祖母の味なる鰤大根煮えてゐる夜を雪に雪降る

「鰤大根」『天涯の紺』

1首目、茶の花は、9月から11月くらいにかけて咲く白くて小さな花。一面に広がる茶の花の数を母の齢で表すところにユーモアがある。冬が深まっていくことへの情感には、年齢を重ねて晩年に向かう母も重なる。
2首目、童謡のような調べを歌う老母。惚けゆくのストレートな形容詞は強烈だが、どこかのんきな感じもする。日の丸は、日本の国旗としてその意味を深く考えずに知っているもので、糸ぐるまという一般にはもう使われなくなった機械を繰りながら、老いた母が子供にもどっているようでもある。
3首目、「やはやは」「雪に雪降る」といつリフレインが楽しく、鰤大根という家庭料理には、祖母から母へ、母から子へと連綿と引き継がれる味が浮かぶ。

むし鰈上手に食べし母なるを旅の夕べの卓に思ひつ
つばくろの空みづみづしステロイドに躁なる母と鬱なるむすめ
伊予和紙のさくら色なる空なるや車椅子曳く母のほほゑむ

「春の病室」『天涯の紺』

「春の病室」の一連は、死期が迫る母の入院を描いているものと思われる。
いよいよ死期が迫り憂鬱な主体に対して、躁になったり、微笑んだり、母はどこかあっけらかんとしているのが対照的。

母の骨ひろふと人らなまぐさしなづきを透きて鳥は歌へり
病院にあしたは行かむ脈拍の乱れしままに上弦の月

「葉月九月」『天涯の紺』

続く「葉月九月」は、「二〇〇四年八月九日未明、仮退院の母急死せり。突発性間質肺炎にて」との詞書が添えられた一連。
1首目、骨となってしまった母に対して、その骨を拾う人を「なまぐさし」とするところに生と死のコントラストがはっきりとある。脳は、母のものを指すだろうか。形を亡くした脳を透かして鳥が歌うという描写は、どこかグロテスクでもあり、救いのようでもある。
2首目、これまで主体は母の看病や心配で自分のことに目が向いていなかったのだろう。母が亡くなり、命の大切さに改めて気付き、自分のために病院に行こうと考える姿は、母の死を乗り越えて自分の人生を歩んでいこうという宣誓のよう。上弦の月は、半月。満ちては欠ける月の姿に、輪廻を繰り返す人間を重ねているようでもある。

辺見の父母に対する情念は、短歌の形式をとることにより、その根底にある激しさや深さが強く心に迫ってくる。
天蓋の紺という歌集のタイトルは、人間の営みに心を寄せる次の一首から引かれている。

人間じんかんはなやましきこと多けれど天涯てんがい桔梗きちかうの紺の風吹く

「あちらの時間」『天涯の紺』

ストレートな感情を表す言葉と印象的な自然の風景で構成される歌の数々は、今を生きる私たちの心にも深く響く。

次回予告

「短歌五十音」では、初夏みどり、桜庭紀子、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉の4人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。

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お読みいただきありがとうございました。
本稿が、みなさまと歌人の出会いの場になれば嬉しいです。

次回は初夏みどりさんが穂村弘さんの『ラインマーカーズ』を紹介します。
お楽しみに!

短歌五十音メンバー

初夏みどり
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桜庭紀子
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ぽっぷこーんじぇる
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中森温泉
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