WBCが怖かった(犬にしてはよくしゃべる#4)
そろそろ正直に言ってもいいのかなと思いながら、ドキドキしながら書いてみる。
WBCで興奮してる人たち、怖かったっすね。
あの時期、職場では、本当に猫も杓子も皆一様に大谷がとかヌートバーがとか言ってて、普段からそういう話をしているマチズモおじさんたちだけじゃなく、文系Z世代の男の子や、ふわふわ若手女性社員に、ベテランお姉さんたちまで、ゲームの展開や選手の容姿を崇めるようにお話している。
あれ、日本って全体主義だったっけ、思想犯も捕まえられるよう憲法って変わったんだっけ、と戸惑いながら、愛想笑いと最小限の相づちで乗り切り、昼休みに街に飛び出すことでようやく水から顔が出て、息をした。
冷静さを失っていて、店に入った瞬間にしくじったと思った。
テレビがある中華料理屋に入ってしまった。
もちろんテレビはWBC特集だ。
しかし、この店はママがずっとブチギレてて、落ち着く。
愛想もへったくれもない。
周りに呑まれて感情がどよめいている俺には、ママのブチギレがヒーリングミュージックのように聴こえる。
なぜブチギレているのか、何にブチギレているのかは、全くわからない。
ほぼ中国語だからだ。
しかもここの料理は本当に心が動かないから安心できる。
850円だなあと思いながら、850円相当のランチを食べていく。
テレビがうるさい。
別の番組でロシアウクライナ戦争について、左寄りの思想を垣間見せながら、戦争はよくないとドヤ顔で話してた人たちが、WBCをやはりドヤ顔で語っている。
しかも興奮している。
午前の職場の方々と同じ空気をまとっている。
わからないことをちゃんとわからないと言うことは誠実である、と信じて生きているが、この信仰は異端だ。
正しさよりもノリが重要なこの国で、誠実に生きることは難しい。
しかし、ノリを重視する多数派の人たちで政治も経済も娯楽もまわっているのだから、正しくないのは圧倒的に私の方だ。
誠実に生きることなど、害悪でしかない。
内心の自由を保障する日本国憲法がまだ改正されてないことを念のため政府の法令データベースで確認し、安心して口をつぐむ。
力を合わせる、ということがずっと苦手だった。
それは目的があいまいな状態だったからだ。
仕事をチームで行うことは理解できる。
利益を上げる、プロジェクトを成功させる、そのために違うスキルを持った一人一人が集まって仕事をして、世の中の付加価値を高めることで、社会が成長し、我々の生活がよくなる。よくわかる。
しかし、体育祭で優勝する、合唱コンクールで金賞を取る、部活で勝つ、ずっと意味がわからなかった。その先に何かがよくなるものが見えないまま、横行するハラスメントやマウントの取り合い、はっきりとするスクールカースト。
思想のない団結は弱い立場の人を苦しめるだけだ。
無論、WBCの応援なんて、ただのナショナリズムの高揚と社会の分断をあおる行為にしか見えない。
なんて、長々とほざいてみたが、これは言い訳で、祭りに参加できない性格を正当化しようとしているだけだから、たちが悪い。
野球で興奮する人は、仕事でも興奮する。
我々事務屋にとって興奮は仕事上、最も不要なものであり、興奮を起点にした行動は大きなしくじりのきっかけになる。
社名の入ったストラップを下げながら、機密情報を垂れ流していくおじさんに対して、早急に正式な懲戒手続を取ることを御社におすすめしたい。
ごちゃごちゃいろいろなことを思いながらも、私は組織に従順である。
ごちゃごちゃ言うことなどまったくなく、内心に何かを抱えながらも、それを露にも見せず、体育祭も合唱コンクールも部活動も率先して取り組み、打ち上げに参加しないところまでがルーティーンだ。
大人になっても、黒を白とも、白を黒とも、ご要望のままに物語を紡ぐ。
私の方がよほど不誠実であることはわかっている。
ああ、ザーサイがうまい。
それだけは確かだ。
大谷も、ヌートバーも、プーチンも、ゼレンスキーも、習近平も、こんなに人々の心を鷲掴みにして、皆一様に独裁者だ。
その熱狂の加速には、メディアが煽るように加担していて、人々は正しさを思案することを放棄するように踊っている。
そして、踊りに入れない俺は、街の嫌われ者のママの振る舞う料理で腹と心を満たして戦場に帰る。
戦争は、そう遠くない。
そして戦争がはじまれば、私も旗を振ってしまうのだろう。