ペンギンになりたかった(東京都在住30代男性歌人の場合#6)
幼稚園のころ、将来何になりたいか聞かれると、「ペンギン」と答えていたらしい。
さらに理由を聞かれると、「ほうれん草を食べなくていいから」と答えていたらしい。
幼少期のこのエピソードを聞いたときに絶望したのは、社会に出るだいぶ手前の段階の無限の可能性を秘めている幼少期であるにもかかわらず、「〇〇をしたくない」という理由でなりたいものを決めているその思考過程である。
おい、幼稚園生の俺よ。
ネガティブ思考には早くないか。
お前、本当にペンギンになりたいと思っていたのか。
当時の俺は、百万円クイズハンターに夢中で、柳生博になりたかったはずだ。
なぜ柳生博と言わないのだ。
もっと雑駁な夢でもいい。
お前はそのころから、むっつりした視線で女の子を見ていたはずだ。
そんなに女の子が好きなら、スポーツ選手でも、ホストでも、地下アイドルの運営でもいい。
そんなむっつりとクイズ番組と女の子ばかり見ていた俺が、天然で売り出そうとしているアイドルの事務所の作家が考えたみたいな「ペンギン」という夢を見ていたはずはない。
あと、ほうれん草はそんなに嫌いなものではなかったはずだ。
グリーンピースやコーンの方が嫌いだったはずだし、もっとガチで飲めない常温の牛乳の方が嫌いだったはずだ。
そうなってくると、だんだん疑問がわいてくる。
俺は、本当に、ほうれん草を食べなくていいからペンギンになりたかったのだろうか。
いや、違う。
ほうれん草を食べたくないからペンギンになりたいと答えることが、センスボケだと思っていたのだ。
そう、周りの幼稚園生が、仮面ライダーとかケーキ屋さんとか、言っている中、ペンギンと答えることをセンスがいいと思っていたのだ。
これはより絶望的である。
なぜならそんなにセンスが良くないからである。
そしてもっと絶望的なのは、この話をまだおもしろいと思っている大人の俺である。
酔っぱらうと、昔ペンギンになりたかった話をしている。
そして、一度もウケたことがない。
あいにく人付き合いをしなくていいご時世となり、飲むとしても一人で飲んでいるので、ペンギンの話で人を困らせることもなくなった。
ペンギンそのものは好きなので、池袋のサンシャイン水族館の年間パスポートで月に何回かペンギンを見に行く。
サンシャイン水族館では、屋外で頭上の水槽を泳ぐ「天空のペンギン」と岩場を歩く「草原のペンギン」に会うことができる。
オススメは草原のペンギンだ。
いいタイミングに行くと、ペンギンが岩場を行ったり来たりして、ばちくそかわいい。
ただ、そんなペンギンを見続けていると、かわいいの向こう側に到達し、2体しか入れない洞穴にいるペンギンを押しのけるペンギンが気になったり、ちょっかいをかけてもひたすら無視されるペンギンが気になったり、なかなかの集団生活なので、なじめる自信が全く持てず、ペンギンにならなくてよかったなと感じ入る。
あのときの俺が、本気でペンギンになろうとして、マッドサイエンティストになって、本当に人間がペンギンになれるような世界線があったかもしれないと思うと、幼少期の自分が、ペンギンとクイズ番組と女の子をむっつり見ているどこにでもいる陰キャ児童でよかったと思っている。