見出し画像

私が賞にこだわる理由(犬にしてはよくしゃべる#6)

紙飛行機が粒子状に変化していって街のすべてのポケットに忍びこんだ/中型犬

自作短歌

昨日の午後、初谷むいさんがスペースをされていた。
スペースでは、事前に集めていた初谷さんへの短歌に関する質問に対して、丁寧に答えていた。
その中であった「私は短歌を詠んだ瞬間が最高潮だから、あとからあまりふりかえらない」という話がとても印象的だった。
(あと、スペース中、初谷さんの飼っている鳥がずっとさえずってて、ASMRとしてもめちゃよかったです。)

そして、夜は、野村日魚子さんがスペースをされていた。
朗読と野村さんが短歌をはじめた経緯など、とても興味深かった。
百年後の歌集から何首か読んでいたのだが、野村さんの情感豊かな声に乗ると、韻律とは声に乗って完成するんだ、短歌って歌なんだな、という発見があった。
そして、短歌を始めた経緯が、「もともと小説を書いていたが、小説を成立させるために、書きたくもないシーンを書かなきゃいけないのが嫌で、詠みたい場面だけを詠めばいい短歌がフィットした」という話がとても印象に残った。
(あと、野村さんの声が、優しさの中に深い情感があふれるような声で、ものすごく魅力的でした。)

私はなんで短歌をやっているんだろう。

私はなにを表現したいんだろう。

先日発行された西瓜第10号の読者投稿欄「ともに」において掲載いただいた「お祈り」という5首連作に西瓜同人の三田三郎さんから寸評をいただいた。

お祈り/中型犬
天ぷらをこっそり埋めた公園にやたら元気な野良猫がいる
両耳にナンをつめても笛が鳴るカレードリアにすればよかった
限界を超えたところが新しい限界ですのでまだいけますね
泥沼の一日だけど大丈夫!火星でスイートピーを摘んでね!
なんとなく嫌いになった俳優のフォローを外すためのお祈り

西瓜第10号「ともに」

「お祈り」は、その破れかぶれとも言えるような奔放さに惹かれた。三・五首目は少し読者に歩み寄っているようにも思えたので、しばらくは読者のことなど考えずに、一・二・四首目のようなはっちゃけ具合で歌を詠み続けてほしいと思う。

西瓜第10号「ともに」評:三田三郎

短歌をはじめてからもうすぐ3年になるが、ずっと「詠みたい情景を詠むこと」と「読者に伝わらないこと」との葛藤が続いていて、今もまさにその渦中でぐるぐるまわっている。
短歌を投稿したり、発表したりするときは、葛藤があることを隠しながら、自信満々の顔を作っていたつもりだったが、三田さんにはお見通しだった。
そして、その葛藤が三田さんに伝わったことが逆に励みになった。
隠しても滲んで伝わってしまうものが、その人間の本質。
私は、ちっとも破れかぶれでも、奔放でもない。
けれど、短歌の世界では、破れかぶれで奔放な「中型犬」になれるのだ。

舞台はでかければでかいほど演じてて楽しい。
だからまた、私は賞に向けて作品を作る。

いいなと思ったら応援しよう!