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嫉妬に耐える訓練(南関東返歌推進協議会会報#1)

短歌にも質量があり仰向けで読めるタイプの本ではなかった/上坂あゆ美

「生きるブーム」(「短歌研究」2022年8月号)

液晶に映ったときにインクより湿った歌をおでこにあてた/中型犬

自作短歌

熱量があるから嫉妬する

塔2022年7月号に掲載されている100首の感想をnoteに書いた。

今年の1月から短歌結社「塔」短歌会に参加している。

「塔」では毎月、会員の作品が掲載されている結社誌が届くのだが、そこに掲載されている短歌の感想を書いている。

書いている、というのはおこがましい。

書かせていただいてる。

とはいっても、誰かの許可を得ているわけではないし、書いている、と胸を張りたいところだが、アップするたびに、「全然わかってねえな、静かに読んでろ、デブ!」と思われているのではないかと、文字だけなら太っているかどうかわからないはずなのに、ビクビクしながらアップしているくらいのメンタルなので、やはり、書かせていただいている、とさせてくださいすいませんほんとにご容赦ください。

塔は1,100人以上の会員がいるので、多種多様な短歌がある。

その中でも自分が気になる短歌に印をつけていたのだが、結構な頻度で、嫉妬に焦がれる。

嫉妬するたびに一旦冊子を閉じて、自分が今作っている短歌や投稿した短歌を読み返すと、くらくらしてしまう。

歴然たる短歌への情熱と技術とセンスの差。

なのに、嫉妬してしまう。

嫉妬するには、自分への見積もりが高すぎる。

なのに、嫉妬してしまう。

自分がこんなにも嫉妬深い生き物だったのかと唖然としながら、地下鉄の天井を仰いだり、混雑した地下鉄でリュックを背中に背負っている人が無期懲役になる法律ができないかなとか思う毎日である。

というのも、自分は嫉妬しないタイプだと思っていたからである。

思い通りにならないことは多いし、スペックもルックスも残念だところだらけなのだが、学生時代の勉強や働き出してからの仕事で、自分より優秀な人に嫉妬した記憶がない。

一方で、努力した時間が圧倒的に短いにもかかわらず、いい短歌に出会うと嫉妬してしまう。

なんでなのかなあと思っていたが、先日職場で自分の好きなラーメン屋を自分より上手にプレゼンしている人がいて嫉妬して気付いた。

これは、熱量の問題だ。

勉強も仕事もプロセスでしかないと思っている。

勉強の意味は、短期的には大学進学や就職するためにいい成績が必要なだけで、中長期的には定型化された思考過程を身につけることで問題解決能力や処理能力を高めるためにするだけである。

仕事は、組織に与えられたミッションを達成するために担当する役割の中で必要なパフォーマンスを発揮するだけである。

プロセスの先の結果だけがすべてであり、その過程自体に対する熱量はないし、むしろ熱量を持つことは結果に悪影響があると考えている。

仕事のために仕事する人とか、勉強の成果をひけらかしてくる人とか、苦手で仕方がない。

ただ、短歌やラーメンは違う。

いい短歌を作ることは、その短歌で表現したいことをつきつめていく過程で、自分と向き合い、読者と向き合い、自分を救い、あわよくば他人も救うことだと思っている。

ラーメンもしかり。

いいラーメンとの出会いは、人を幸せにして、生活の質を向上させ、人生観をも変える。

シンプルながら豊潤で端麗な煮干しラーメンとの出会いは、シンプルかつ一つのことをつきつめて生きることのカッコよさを教えてくれる。

工夫のこらされた二郎インスパイア系ラーメンは、トップランナーへのリスペクトと飽くなき探究心が常に破壊的イノベーションを起こし、人類を高みに連れて行ってくれることを教えてくれる。

ラーメンは、食べれば食べるほど、その奥深さに感動と謎が深まっていく。

短歌もしかり。

今回、100首の感想を書いてみたが、共感、嫉妬、困惑、恐怖、興奮、さまざまな感情が巻き起こった。

その中でも、嫉妬の感情は厄介で、翻ってその感情は自分の努力の足りなさ、才能の無さに矢印が向いているものである。

小説家の羽田圭介さんが以前インタビューで「たくさん小説を読んでいたから、小説を書くのは難しくなかった」と言っていたのだが、何かが上達するときには、一定の絶対経験量が必要だと考えている。

短歌における絶対経験量は、作ることもさることながら、読むことも重要で、嫉妬に焦がれて何度も手が止まりながら、感想を書くことで、自分がその歌のどの部分に心が動いたか明確にすることで、得も言われぬ不安からくる嫉妬を抑えた。

歌人の皆様方におかれては、今後もつたない感想を書かせていただくことをご容赦いただけるとありがたく存じます。

あと感想を書いていてよかったのは、自分の短歌を推敲するときに、読者としての自分の目が入るようになったことである。

読者の自分は意外と厳しくて、ボツ率が上がったけど、詠みたい微妙なニュアンスが読み取れるかシビアに見てくれるので、いいやつである。

ただ、しょせん自分の分身なので、そこそこのところで妥協したりしてきやがるのが、自分らしくて愛くるしいが、上達しない原因でもある。

がんばって!自分!

ブームは去る、だから愛おしい

今回返歌を書かせていただいた上坂あゆ美さんの短歌は、短歌研究2022年8月号に掲載されている20首連作「生きるブーム」からの1首である。

引用した1首は、まさに上坂さんの歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』がまさに自分にとって質量の重い歌集だったので、バチっときた。

連作全体も軽いワードを使いながら、「生き続ける」ということにシビアに立ち向かっている主体の心の動きがビビットに表現された歌が並んでいる。

人生でまだ主人公だと思う?って声がイートインコーナーからする
地球には言葉があってでもダメでだからぬいぐるみはやわらかい

上坂あゆ美「生きるブーム」(「短歌研究」2022年8月号)

連作のタイトル「生きるブーム」は、掲載された短歌研究の特集「短歌ブーム」とつながっている。

特集で何度も問われているのが、ブームがそもそも起きているのか、起きているとしてそれは一過性のものであるか、という点であったが、この連作でも、「生きる」ということに執着を見せながら、その執着が一瞬にしてなくなってしまうような予兆もある。

五秒後に傷つく恐れがありながら真っ白いままのハザードマップ
出川哲朗の泣き顔を見ながら薬が効いてくるのを待った

上坂あゆ美「生きるブーム」(「短歌研究」2022年8月号)

明確に書かれてはいないが、主体が「生きる」ことを意識する理由として、生きることに困難を抱えている知人の存在があり、連作の影の部分の色が濃くなる。

心療内科びょういんに付き添う道で白米の好きな硬さについて話した
伊藤家の裏ワザぜんぶ知ってても君ひとりすら救えずにいる

上坂あゆ美「生きるブーム」(「短歌研究」2022年8月号)

上坂さんの歌のすごさは、1首1首が独立してパンチラインになっていることに加えて、連作になるとその物語のパーツとして感情の流れを作っているという二面で感情を動かしてくるところである。

『老人ホームで死ぬほどモテたい』でしびれた人にこの連作が届いてほしいし、逆に短歌総合誌に掲載されているからこそ短歌ブームなるものに懐疑的な人にこそ、この連作の持つ生きづらさの質量が届いてほしい。

ブームは去る。

去った後に消え去るのか、定番になるのか。

「生きる」は、状態動詞ではなく、動作動詞であると改めて認識した。

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