ギャルと輩(東京都在住30代男性歌人の場合#3)
ナナロク社主催の「第2回あたらしい歌集選考会」に応募した。
応募要件は短歌100首、それだけ。
未発表・既発表なんでもOK。
表題の有無や連作などの構成も自由。
選考は歌人の木下龍也さんと岡野大嗣さんがそれぞれ行い、「選考者を歌人ひとりとして偏りのある審査をする」という審査基準。
応募作品の下審査落ちはなく、選考者がすべて読んで選考。
文語でも、口語でも、一首詠の詰め合わせでも、連作でも、よもや自由律でも短歌なら戦えるという異種格闘技戦に心が踊った。
角川短歌、短歌研究、NHK短歌、角川短歌賞、歌壇賞、笹井宏之賞、近藤芳美賞、たんたか短歌、うたの日、日経歌壇、and more.
フェスの出演者のごとく、日に日に落選媒体が心の中の短歌ナタリーで発表される中、もしかしたら、この大会にはハマるかもしれないと一縷の望みに自分の生きざまをかけることにした。
今年1月に大会の開催が発表されると、自分の中の書きたいことを自由に解放して100首作った。
しかしだ。
100首並べて読むとしっくりこない。
それは、この賞が歌集を刊行するための賞なので、100首読んだときに、歌集のイメージがわくような作品にしたいのだが、どうしても独立した連作の集まりになっていて、立体感がないのだ。
〆切まであと2週間。
頭を抱え続け、己の才能のなさに打ちひしがれ、独り深酒をしてしまった夜、ツイッターにぐちゃぐちゃの感情を吐き出して、翌朝ツイ消しするという、メンヘラまるだしの行動にまで到達してしまっていた。
そんなボロボロの体を抱えながら、Awichの武道館ライブに行ってきた。
HIPHOPのライブは初めてで、緊張して行ったのだが、もうとにかくギャルと輩しかいない。
スーツ姿の30代後半ソロ参戦バチクソ陰キャおじさんなんてまじで一人もいなかった。
ただ、見た目がゴリゴリでも優しい人ばかりだった。
開演前にめちゃくちゃ騒いでいた隣のお姉さんは、Awichが登場した瞬間に静かに涙を流し、反対側の隣になった手の甲までタトゥーのあるお兄さんも、前を通るときに「すいませんすいません」と手を合わせながら通るような礼儀のある人だった。
そんなことを考えていたら、ライブ中に雷に打たれたように高校生の頃の記憶が蘇ってきた。
貧しさと田舎の縁故至上主義に窒息しながら、ずっとEminemを聴いていたこと。
コミュ力のなさを逆手に取ってどのグループにも所属せず、一軍とも二軍と三軍とも対等に話ができるという謎のポジショニングでスクールカーストをサバイブしていたこと。
ギャルの同級生とも輩の同級生とも普通に話はできるけど、いざギャルに好意を持つと、ちゃんとギャルから「生理的に無理」って言われたこと。
その思い出が、なぜか5音と7音で迫ってくるのだ。
Awichのライブはひたすら最高で、HIPHOPそのもののパワー、フィメールラッパーのカリスマたるAwichのパワーに圧倒されて大感動したのだが、それとともに実物のギャルと輩に何時間も囲まれてフラッシュバックする青春のイメージの海に溺れ、思い出した出来事や感情を短歌調にしたためながら、地下鉄に乗って帰った。
すると100首のエピソード0みたいな部分ができていて、立体的になっていた。
という経過で作った100首の作品を応募した。
思い切って普段交流がない人たちの海に飛び込む非日常の経験は、心の中に隠れていたことを引っ張り出すんだなあと実感した。
非日常、大事。
でも、当分は遠慮します。
ギャルと輩って、ノリで人を笑顔にすることも、ノリで人を殺すこともできる卓越したバイブスがあって、やっぱりちゃんと怖かったです。
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