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神社前


 最近、身近な秋祭りが、ああ良いものだなぁ、と以前より感じるようになった。おそらく人生も後半に入って、自分が居なくなっても、これは続くのだ、という当たり前を察したということだろう。
 自宅から歩ける距離に四~五の神社があるが、その中の一つの祭囃子がかすかに聞こえた。夕食後に麓の交差点までのんびり歩くと、人出はそこそこあったが、それはもう終わった様子だった。的屋の方々も既に片付け始めている。だが、この祭りの後というものも良いもので、しばらくそこに佇んでいた。湿気はまだまだ多いが、夜風は悪くない。
 折角なので生ビールでも、と思ったが、既に店じまいで出店は撤収作業に入っている。缶ビールでも持ってくれば良かった、という程の夏の終わりの気候だった。法被を纏った方々が労いの言葉を掛け合い、子供たちは反省会の様子。それを眺めているだけでも、少しの秋を感じ、そのような日常の空気が自分が居る地域で自然にあることすらなんだか嬉しかった。

 この9月下旬は自宅での録音作業も一段落し、のんびりしていることが多く、レコードをじっくり聴こうと思っていたのだが、前回ここで触れたラックスマンのアンプが再修理となってしまったのだ。なので、またCDやサブスクリプションのデジタル環境になってしまった。

1967年以降のBUTTERFIELD BLUES BAND 再聴の夏(その2)

 私は熱心なポール・バターフィールドのファンとは言えない。ソロアルバムは一枚しか持っていないし、前回のコラムの通り前期バターフィールド・ブルース・バンドにものめり込むことはなかった。ベターデイズは他のメンバーにより魅力を感じていた。
 が、この中後期のバターフィールド・ブルース・バンドはジーン・ディンウィディやフィリップ・ウィルソンらの協力でバターフィールド自身が大きく変わっていく様が記録されており、興味深い。先にバンドを抜けたマイケル・ブルームフィールドは “An American Music Band”と標榜した、エレクトリック・フラッグを結成するが、それを自然に演奏に滲ませることができたのは、この頃のバターフィールド・ブルース・バンドの方だっただろう。ブルームフィールドは嫉妬したに違いない。

 そして、前回からの続き。まずはサブスクリプションやYoutubeに上がっている1969年のアムステルダムでのライヴ。
 エルビン・ビショップ (g)、マーク・ナフタリン (key)が抜け、バンド過渡期のレパートリーでブルース進行の曲も多く、それぞれの長尺ソロも多い。
 メンバーはバターフィールド (vocal, harmonica) 筆頭に、
 ジーン・ディンウィディ(tenor sax, vocal, mandolin)
 ディヴィッド・サンボーン (alto sax)
 キース・ジョンソン (trumpet)
 バジー・フェイトン (guitar)
 フレッド・ベックマイヤー (bass)
 フィリップ・ウィルソン (drums, percussion)

 録音状態はあまり良いとは言えないが、それでもウィルソンのドラムがブルースフォーマットでも飽きが来ない響きとグルーヴを提供している。ベックマイヤーがいることから、既に次のスタジオ録音盤『Keep On Moving』の制作に差し掛かっていたかもしれないが、ここでのレパートリーはリトル・ウォルターの Everything Gonna Be Alright とディンウィディが歌う Drown In My Own Tears を残してその後一掃され、まだ『Keep On Moving』からの一曲もない。このアムステルダムでの録音は1969年1月18日、これは後々謎解きに必要な情報となる。

 そして五枚目のスタジオ盤となる『Keep On Moving』。

 これがこの “BLUES BAND”を掲げた初期からのファンには、すこぶる評判が悪い。おそらく、ブルースファンからは敬遠される、このバンドの最大のヒット曲となる “Love March” が冒頭の一曲目となっていることも大きいだろう。Discogsでの解説は以下。(すみません、面倒なので、グーグル翻訳そのままです)

 ”これはバターフィールド・ブルース・バンドによる 5 枚目のエレクトラのリリースでした。4 年間の活動期間中、グループの名前の由来となったリーダーは、1965年のファーストアルバムから残った唯一のオリジナルメンバーでした。マイケル・ブルームフィールドのエレクトリック・フラッグと同様の方向性に変化したこのバターフィールド・ブルース・バンドでは、アルトサックスのデイヴィッド・サンボーン、テナーサックスのジーン・ディンウィディー、トランペットのキース・ジョンソンのホーン セクションが目立っていました。バンドの方向性は、ホーンが中心のソウルミュージックで、最初に『The Resurrection of Pigboy Crabshaw』で試みられ、高く評価された『East-West』のざらついたブルースの実験や、マイケル・ブルームフィールドとエルヴィン・ビショップのギター・デュエル・アタックからさらに遠ざかりました。このアルバムは、AACMとアート・アンサンブル・オブ・シカゴのドラマー、フィリップ・ウィルソンの最後の登場を告げるものでもありました。
 しかし「Losing Hand」のような曲では、バンドの元々の熱意がいくらか残っている。バターフィールドのハーモニカがホーンセクションと絡み合う音は、失われたジュニア・パーカーのアウトテイクのように聞こえ、ジミー・ロジャースが書いた「Walking by Myself」は、このバンドが全盛期の勇敢なウィンディ・シティ・ブルースに最も近い。残りの曲はひどいものではないが、アイデアがすぐに尽きてしまい、残念ながら、もう少し努力すればまともな素材になったかもしれないのに、未熟に聞こえる。バターフィールドはさらにメンバーを何人か入れ替え、エレクトラで最後のディスク『Sometimes I Just Feel Like Smilin’』をリリースした後、バンドを解散してソロ活動に乗り出しました。”

 私もこのアルバムに幾つかの失敗を感じるが、上記とは全く異なる見解である。例えば Walking by Myself は蛇足だし、Losing Hand はライヴでの熱量とは逆にクールにいくべきと感じるが、バターの歌はここではチグハグに感じ、ウィルソンは道化のようなプレイだ。(それはそれで面白いけど)しかし、Love Disease は私が最初にノックアウトされたこのバンドの曲。もっとも当初はライヴ盤ばかり聴いていたのだが。

 さてこのアルバムには重要人物が3人いる。まずはテッド・ハリス。ハリスはピアニストだが、ここではアレンジャーとしての貢献が目立つ。バターは元々この制作に関して、アレンジをギル・エヴァンスに依頼しようとしていたらしい。が、ベックマイヤー脱退後のベーシスト、ロッド・ヒックスがトニー・ベネットのバンドのハリスを連れてきたのだ。ハリスのアレンジでの貢献は全曲ではないが、いくつかはとても素晴らしく、音楽的に良い瞬間をそこかしこに残している。そして彼はその後もメンバー的にこのバンドに参加していく。
 次にプロデューサーのジェリー・ラゴヴォイ。プロデューサーや作曲家としても一定の評価があり、ヒットメーカーとも言えるのであろう。おそらく、数字的にエレクトラからの提案と察する。これは聴いていないが、以下のアルバムがある。

 このアルバムに先駆けて発売されたシングル、ラゴヴォイ作曲の Where Did My Baby Go は、バターのハープは微かなミックスバランスで、フェイトンをフィーチャーしている。(この曲はラゴヴォイのプロデュースによる1972年のアトランティック『HOWARD TATE』にも収められていて、私はかなり愛聴した。どちらかと問われれば、テイト版の方が好みではある。)またアルバム収録の Buddy’s Advice はフェイトンの作曲で、アレンジはラゴヴォイとフェイトン、そしてこの二曲のみベースはベックマイヤーなのだ。だからこのアルバム制作の最初期に録音されたもので、ラゴヴォイは既にフェイトンをもっとフィーチャーすれば(しかもこの曲ではあえてギターは弾かず、ピアノを弾き歌っている)セールスにも優位だろうと最初からの計画と私は推測する。ところがメンバーが持ち込んだ曲はブラスロック一歩手前のものだったりして、これは纏めきれん、と匙を投げぎみになってしまったのかもしれない。曲順の所為もあるが、一貫しているのかバラエティなのか、なんだか微妙なのだ。それでも Except You という曲を提供しており、この時点ではアレンジが少し雑だが、これはのちにハリス(だと思う)が昇華させ、後のライヴ盤でのアウトテイクでは素晴らしい出来となっている。
 この Except You という曲、どことなくローラ・ニーロを思わせるメロディラインだが、1969年のニーロはニューヨーク・テンダベリー、共にギル・エヴァンスの協力を仰いでいたのだが、叶わなかったという偶然はなんとも奇妙なものだ。
 そしてもう一人、ジョー・ザガリノ。録音エンジニアである。ザガリノの功績については、ザ・バンドのブラウンアルバムを挙げておくが、あとは検索してくれ。とにかく音が良いのだ。私が最初に聴いたCDでは感じなかったが、数年前のレコード・ストア・デイの時に再発されたアナログ盤を聴いて、驚いた。が、その音の良さが裏目に出た感もある。伝わりすぎてしまうのだ。前作で感じた自由さや録音を面白がるピュアな姿勢よりも、むしろ構築具合に耳がいってしまう。もちろんザガリノには全く責任はない。むしろ、彼の良い仕事の一つだろう。そして、バターの葛藤すら感じられるというのも、記録として大変興味深い。

 ちなみにジャケット写真は左から、ヒックス、ウィルソン、スティーヴ・マダイオ(tp)、ディンウィディ、バター、キース・ジョンソン(tp)、フェイトン、サンボーン。このメンバーにハリスとこのアルバムにも参加しているトレバー・ローレンス(bariton sax)を加え、ウッドストックのステージに立つ。そして、ウィルソンとフェイトンは抜け、このバンド解散後、ディンウィディとベックマイヤーにニール・ラーセンが合流し、名盤の誉高い(私はそんなに好きではないが)フル・ムーンとなる。不思議なものだね。

 余談だが、ここでの録音の Love March でのバターのフルートとフェイトンのフレンチホルンは遊びではなく、二人ともこれらの楽器の教育を子供の頃(フェイトンはまだ18歳くらいだけど)受けているのだ。

 今回で終わらせるつもりだったのだが、次回はウッドストックから最後まで行きたいと思う。サンボーンやハリスのこの頃の談話がどこかにあったのだが、もう一度探してみよう。

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki 

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