【アーカイブス#41】シネイド・オコナー*2012年10月
今年2月にリリースされたシネイド・オコナーの通算9枚目のアルバム『How About I Be Me(And You Be You)?』(One Little Indian Records TPLP1122CD)が大傑作で、初めて聴いてから8か月近く経った今もぼくの感動と興奮は収まらず、まるでこのアルバムの中毒になってしまったかのように頻繁に耳を傾けている。シネイド・オコナーは、Sinéad O'Connorと綴り、1980年代後半にデビュー・アルバムの『The Lion and The Cobra』が日本のレコード会社から発売されて以来ずっとシニード・オコナー、あるいはシンニード・オコナーと表記されることが多かったが、ここでは実際の発音に近いシネイドと書かせてもらう。
発売から8か月以上が過ぎてしまったが、シネイドのこの最新アルバムが日本盤としてリリースされるという情報はいまだに伝わって来ていないし、ぼくの知るかぎりあまり話題にもなっていないようなので、この名盤を少しでも多くの人に聴いてもらえたらと願って、今回取り上げてみることにした。
1990年にシネイドのセカンド・アルバム『I Do Not Want What I Haven’t Got』が発売され、そこに収められたプリンスのカバー曲「Nothing Compare 2 U」が、その年の夏、母国のアイルランドはもちろんのこと、イギリスやヨーロッパ各国、アメリカやオーストラリアのヒット・チャートでことごとくトップとなった時、この日本でもシネイドはかなりの話題となって、熱心なファンも数多く生まれたはずだが、その後新しい作品が発表されるたびに、彼女の人気度は下降線を辿っていったように思う。
『How About I Be Me(And You Be You)?』の前作となる2007年の『Theology』は、日本盤がビクターエンタテインメントから発売されているが、いったいどれぐらいの売上げなのかちょっと気になるところだ。今Amazon.co.jpのサイトで確かめてみたら、定価2980円のこの日本盤が何と57%オフの1281円で売られているではないか。
ぼくが思うにシネイドの歌の背景には、国民の9割近くがローマ・カトリック教徒という彼女が生まれ育った国アイルランドの宗教事情が強くあり、それが彼女の歌と不可欠に結びついている。しかし日本ではそれがあまり理解されていないというか、理解しにくいというか、そこまで踏み込んで彼女の歌の世界に入り込む人が少ないのではないだろうか。
ローマ・カトリック教が絶対的な世界の中でのシネイドの体験やそれに対する反発や複雑な思いは、激情に駆られた彼女の激しい歌に込められているし、例えば1992年にアメリカのテレビ番組『Saturday Night Live』に生出演中、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の写真を破るなど、彼女が引き起こしたさまざまな騒動もローマ・カトリック教の問題と強く結びついている。
しかし日本ではそれは過激でエキセントリックな行動、すなわちシネイドは奇矯な振る舞いをする女性として表面的にしか受け取られず、最初は彼女の美しい歌声に魅せられた人たちも、ちょっと付いて行けないと離れていったように思う。
しかしシネイドのその過激さというか奇矯さというか決してへこたれることのない反骨精神こそがぼくにとっては大きな魅力で、活動を続ける中で音楽のスタイルが変わっても、あるいは自作曲ばかりでなくほかの人たちの曲をカバーしても、彼女の魂の叫びはいつでも正直に誠実に歌に現われている。だからこそ、ぼくは衝撃も受ければ、強く心も動かされ、1987年のソロ・デビュー・アルバム『The Lion and The Cobra』で初めてその歌を聴いて以来、ずっと彼女の歌を追いかけ続けているのだ。
そういえば『The Lion and The Cobra』が発売されてシネイドがアイルランドやイギリスで話題になっていた頃、ぼくは今のように歌うことよりも「洋楽」の原稿を書く仕事が中心で、レコード会社に依頼されてインタビューやコンサートの取材でしょっちゅう海外に出かけていた。そんな取材のひとつでロンドンに滞在していた時に、幸運にも彼女のコンサートを見ることができた。スキンヘッドにチュチュのようなコスチュームでステージを前後左右動き回り、天使のように美しい歌声を聞かせたかと思えば猛獣の咆哮のような激しい歌を聞かせ、あたりかまわず唾を吐きまくるその姿は、あまりにも強烈だった。だからぼくはアルバムよりもライブの方がシネイド初体験だったかもしれず、とにかくその圧倒的な個性と存在感にたちどころに心を奪われてしまったのだ。
1966年12月8日にアイルランドの首都ダブリンの郊外、南に10キロほど行ったところにあるグレナギャリー(Glenageary)の町に生まれたシネイドは、五人きょうだいの三番目で、8歳の時に両親が別居した時、上の二人と共に母親に引き取られたが、そこで母親からはしばしば肉体的な虐待を受けた。12歳の頃には父親とその新しい妻と一緒に暮らすようになるが、やがて学校をさぼったり、万引きをしたりするようになり、規律の厳しいローマ・カトリック教の矯正施設に送られてしまった。彼女が音楽や文学と出会ったのはそこでのことだったが、同時に二度と体験したくないと本人が語るひどい懲罰もそこで体験している。
大人になってからのシネイドは四度結婚をし、それぞれ違う父親で四人の子どもを産んでいる。
デビュー・アルバム『The Lion and The Cobra』をレコーディングしていた1986年、20歳の時に、ドラマーだったジョン・レイノルズとの子どもを身籠って最初の結婚。
1996年にはアイリッシュ・タイムズのコラムニストのジョン・ウォルターズを父親に二人目の子ども。2002年にはジャーナリストのニコラス・サマーラッドと二度目の結婚。2004年にはアイルランドのミュージシャン、ドーナル・ラニーを父親に三人目の子ども。
2006年から2007年にかけてはアイルランドの人気シンガー、メアリー・コクランの夫だったフランク・ボナディオと親しくなり、四人目の子どもを出産。2010年の夏にはStockton’s Wingのメンバーで、シネイドとは古くからの友人で、その後彼女のバンドのギタリストとなったオーストラリアン・アイリッシュのスティーブ・クーニーと三度目の結婚をするが、翌年四月に離婚。2011年12月にはインターネットを通じて知り合ったアイルランド人のセラピスト、バリー・ヘリッジと四度目の結婚。しかし二人は実際には一週間一緒に暮らしただけで破局を迎えてしまった。
何だか女性週刊誌のような内容になって来たが、実は結婚や出産、離婚を何度も繰り返すシネイドのこの人生は、両親が別居したことや、母親から虐待を受けた彼女の少女時代の体験、そして彼女を縛り付け抑圧したローマ・カトリックの宗教、そこでの厳しい規律、とりわけ女性に対してまったく寛容ではなかったことなどが強く影響しているというか、その「反動」ではないかとぼくは思っている。
そして彼女の最新作の『How About I Be Me(And You Be You)?』は、恋愛や結婚、出産や子育て、破局や別離がテーマとなっていて、それらが正直に、赤裸々に歌われている、まさに彼女の自伝ようなアルバムだと言える。そこで浮かび上がってくるのは、結婚や出産に対する彼女のアンビバレンスな思いだ。
『How About I Be Me(And You Be You)?』の収録曲10曲のうち1曲だけがカバー曲で、ほかの9曲はシネイドのオリジナル曲だが、彼女が一人で書いている曲は3曲だけで、残りの6曲はアルバムのプロデューサーでドラムスを叩いているジョン・レイノルズやギタリストのジャスティン・アダムスやマルコ・ピローニ、そのほかの人たちと共作している。
アルバムはピンクのドレスを着て精一杯おめかしをして最愛の人と結婚式をあげるために教会へと向かう「4th And Vine」で幕を開け(そのしあわせいっぱいさ加減が逆に何だか不気味でもある)、続く「Reason With Me」は、ジャンキー(麻薬常用者)が手遅れになる前に立ち直ろうとする歌。「Old Lady」は、大好きな男の子を前にすると、無視したり、敢えて嫌いなふりをしてしまう年頃の女の子の微妙な心境が歌われた曲。
「Back Where You Belong」は、自分が産んだ男の子を心から愛しながらもその子と一緒にいられない母親の思いが歌われていて、かと思えば「I Had A Baby」は一緒にはいられない人との間で子どもを作ってしまった女性の歌で、後悔はまったくしていないものの、子どもを父親には会わせようとはしない。
「The Wolf Is Getting Married」は、狼が結婚すればもう二度と吠えなくなってしまうという何とも意味深な歌だし、愛する人と離ればなれになって、二人ともお互いにどこにいるのかわからないまま同じようにふるさとからどんどん遠ざかって行くだけという「Very Far From Home」も、シネイドの生き方そのものが浮かび上がってくる歌だと言える。
アルバムのプロデューサーにしてミキサーで、ほぼ全曲でドラムスを叩いているのは(一曲だけピアノを弾いている)、シネイドの最初の夫にして最初の子どもの父親、離婚したものの今も音楽上の最強のパートナーのジョン・レイノルズで、アルバムはいちばん上の兄で作家のジョセフ・オコナーと四人目の子どもの父親、フランク・ボナディオに捧げられている。
「わたしは世界を変えたかったけど/下着を替えることすらできなかった」という印象的なフレーズで始まるアルバムの中の唯一のカバー曲「Queen of Denmark」は、1994年にデンバーで結成され、10年ほど活動を続けたアメリカのオルタナティブ・ロック・バンド、The Czarsの中心人物、ジョン・グラントの作品。
これがまさにシネイドにぴったりの曲で、かつてプリンスの曲を自分のものにしたのと同じように、今回も彼女は完全に自分のものにして歌っているように思えるのだが、ジョンのオリジナルをまだ聴いていないので偉そうなことは言えない。早速この曲が入ったジョン・グラントの2010年のデビュー・ソロ・アルバム『Queen of Denmark』を注文して、届くのを待ちわびているところだ。オリジナルとシネイドのバージョンとを早く聴き比べたくてたまらない。
注文して待ちわびているアルバムと言えば、このほかにもう一枚ある。この原稿を書くためにあれこれと調べているうち、『How About I Be Me(And You Be You)?』のボックス・セットのデラックス・バージョンが発売されていることを発見したのだ。CD二枚とDVD一枚の三枚組で、CDの一枚目はオリジナル・アルバム、二枚目は2011年10月から12月にかけてダブリンやアイスランド、ロンドンで行なわれた彼女のコンサートのライブ録音が15曲、そしてDVDには彼女のインタビューや新しいアルバムの2曲のオフィシャル・ビデオやライブ映像が収められている。もちろんこれも昨日発見と同時に注文してしまった。
シネイド・オコナーのようにかつて大ヒット曲があり、人気も出れば知名度も高かったミュージシャンが、いったんその人気が「下火」になってしまうと、その後いくら素晴らしい新作を発表しても、なかなか注目されないというか、聞いてもらえる機会は少なくなってしまいがちだ。これまでいろいろと奇異な行動をしたり、何度か引退宣言をしたりして、それも彼女の音楽活動にとってはマイナスに作用しているようだが、今度のアルバム『How About I Be Me(And You Be You)?』は、かつてシネイドを熱心に聴いていた人にとっても、彼女のことをよく知らない人にとっても、一聴どころか、五十聴にも百聴にも値する素晴らしいアルバムだとぼくは断言する。ぜひとも聴いてみてほしい。