人から愛される為に、一番大切な自分への愛を捨ててしまう
発作からの出来事 - 散歩に行けない
久しぶりのパニック発作から2ヶ月ほどが経った。
本当に濃く、辛かったし、色々なことがあった。
パニック的なものとの付き合いは5年ほど。調子が良く無い日も、散歩をすると体が巡って落ち着いたりしていたから、遠出できなくても、散歩ができるということがささやかな楽しみでもあったけれど
2ヶ月前の発作の時は、急激にエネルギーが上がってきてオロオロしてしまい、咄嗟に「歩いたらいいかも」と家を飛び出してしまって、
その日はとても蒸し暑く、急激に天気が下り坂になって気圧も変わって・・・と、結局外に出て歩き始めたらさらに呼吸が苦しくなっていって真っ青な状態で家に帰ってきた。
そんなこともあってこの2ヶ月は、「外に出る=調子を崩す」という誤認識が強くて、家から十数メートル先のゴミステーションまで行けたくらいで、家から出られていない。
あんなに楽しみだった散歩に行けない辛さは、すごいもの。もちろん今でも、いつ行けるんだろうという気持ちに入り込むと、真っ暗な気分になる時もある。
でもそれも、ずっとではないし、少しずつきっと行けるようになると今は思える。
発作からの出来事 - パートナー依存
そしてもう一つは、ちょうど発作の時にパートナーが外出中だったことがあって「外出される=調子を崩す」というのも結びついてしまい、恐怖がすごかった。
昨年、お互いに、それぞれの形での依存が強かったことを認識して、向き合い、ようやくそれぞれの時間をそれぞれに楽しみ初めていたし
ようやく私も、一人でいられる喜び、相手にも自由にしてもらう喜びに触れられたところから一転、またもや依存状態になってしまった。
当初は、出かけると聞いただけで、手が震えてしまったり呼吸が苦しくなったりと、どうにもならず、相手に無理をかけてしまったし、そんな自分を責めに責めた。
でも、そんな中で、出来ないことは出来ないと諦めることをしたり、それでも相手のあることだから、ギリギリのラインで出かけてもらうチャレンジをしたり、少しずつ間口を広げて今がある。
今月の初め頃からは、2〜3時間の予定なら好きなように行ってもらうということができるようになってきて、みるみるパートナーの様子はイキイキとしてきた。
パートナーは通常自宅で仕事をしているけれど、来月からは週に一日の外での勤務に行ってもらえる状態にまで来た。まだ「絶対大丈夫」という感覚まではいかないにしても、自分の中に「きっと大丈夫」という感覚がちゃんと戻ってきていることが嬉しい。
「治そう、変わろう」としないことが、自然の治癒を助ける
たくさん散歩に行けていたこと、毎日海まで歩いて海と触れ合っていたこと、カフェに行っていたこと、「きっと大丈夫」という信頼が増えていたこと
発作前のことを思うと、それがすごく遠くに感じられ、出来ないことに目を向けると悲しくなったりするのだけど、
こうして書いて並べてみると、2ヶ月前のあの状態からしたら、随分と生命力も信頼もちゃんと還って来ているんだなって実感できた。
自分もよく頑張ったし、パートナーもこんな私の人生の隣を歩いてくれることに、なんとも言えないありがとうという気持ちになる。
渦中の時はお互いギリギリすぎてヤバい空気だったけれど、今は色々と落ち着いてきて、少しずつユーモアが家の中に戻りつつある。
こういう時期をなんとか超えて来られたのは、この状況を含めて、私のことを「面白い」と笑い飛ばしてくれるようなセラピストの方とボディーワーカーの方がいたことが大きい。
変なポジティブシンキングではなくて、心や体を包括する魂・意識の視点から、人間という存在をあたたかく見る眼差しというか。だからこそ、ポップに軽やかに、私の現状を深刻でなく見てくれた。
それらの視点がもたらしてくれたことは、「これは悪いことじゃないんだ」という感覚だった。「病は力、病はメッセージ」ということだったり、「身体はあなたの味方だから」ということ。
それを聞いて、今を否定しないでいられて、無理に治そうとか早く変わらなきゃという過度なコントロールに繋がらず、自然の治癒力や時間や空間というものに任せようと思えることに繋がっていった。人間が邪魔しなければ、治っていくことが自然なんだろうと思う。
関わる人はとても大切
パニックになってから5年立つけれど、前に所属していたコミュニティの人に「パニックは、外で才能を発揮したくないからやってる」と言われていた(旦那を束縛したいんだとかも言われていたけど)。
それもどこか思い当たることもあったし、コミュニティを離れた後もその思想は深く自分に埋まって「正解」になってしまっていた。
だから今年の前半は、「外に出て行くんだ、治すんだ、旦那だけに依存しないんだ」って、振り返ると、すごく頑張ってたなぁと。
でも、じゃあなんで外が怖いの?っていう種は全然観れないままだったから、怖いままがむしゃらに出て行っちゃってたんだよね。
結局、対人恐怖があるまま、無意識に過度に周りに気を使って、嫌われないよう立ち振る舞って、望まれる自分はこれかなとか模索して
そんな、軸が他人に置かれたまま外に出たら、それはおかしくなる。
なぜ外が怖かったのか、人が怖かったのか、外に出ると疲れてしまうのか___今回の事が起きて、関わってくれた方と話した時に、それは表と裏があまりに乖離して、闇を封じ、光ばかりを見せようと生きていたからなんだって腑に落ちた。
まだ1ヶ月ほどだけど、自分の中の狂気や殺気立つものや色々を含めて光を当てていった今の自分から見ると、以前自分が言葉にしていた「ありのままで」「自然体で」というものが、とても薄く立体感の無いものに思える。
ダメなままでいいんだ、弱いままでいいんだ。変わらなくてもいいんだ。めちゃくちゃ光ってもいいし、めちゃくちゃ闇ってもいい。そういう人間らしい自分を、少し離れて観れる眼差しを育んでいったらいいんだ。
こうして、同じ「パニック」という症状に対しても、関わる人で捉え方は違ってくる。だから、どんな人と関わっていくかというのは本当に大切。
決まり事で雁字搦めになっているから「パニック」になっているのに、さらに新しい「決まり事」を生んでしまいかねない。
どんな話でも、どんな素晴らしいと思う事でも鵜呑みにしないこと。そして、変な高揚感を伴う「変われる!!」みたいな中毒性の高いものなのか、肩の力が抜けるようなものなのか、自分の心身が感じていることに目を向けることが大切だと思う。
人から愛される為に、一番大切な自分への愛を捨ててしまう
自分の心が、身体が、今どう感じているのか?それに、ただただ目を向け続けてあげることが、自分を愛することなのだと最近思う。
何かワガママを通すとか、自分を曲げないこととか、そういう現象的なことではなくて、きっと、人に合わせてしまおうがどうしようが、どんなものを目にしようが、今の心と身体に目を向けてあげること。それが自分への愛だなと。
私は極端に自己価値が低くて、「普通でないといけない」と自分を曲げすぎて生きて来た。だから、自分の心身の状態を後ろに置いて、人から愛される為に必死に生きてきたんだと思う。
最近、りゅうちぇるさんという人が、ジェンダーの悩みを抱えていて離婚を選択し、お相手とは「家族」という形になるという記事を見た。
たまたま見たツイートで、りゅうちぇるさんは「夫の鏡」みたいにテレビで取り扱われていて、ここ最近は「夫とは〜」的なキャラで人にアドバイスするようなこともたくさんあったみたいで、それに対して「あんなに夫とはこうあるべき、みたいに言ってたのにこれかよ」的なTweetを目にして胸が痛んだ。
発達障害的な私のマイノリティの痛み苦しみ以上のものが、ジェンダーのことを悩んでいる方にはあるのではと推察する。
そういう、ずっと「認められる」ことが難しい世界に生きて、なんとか自分という存在を保ってきた人が、「夫とは〜」という立場で持て囃された時に、感じたことのないような「世間からの肯定」を感じただろうと。
マイノリティで頑張って生きて来た人が「世間から肯定される」というとんでもない安堵感、それが一時の仮初のものだとしても、ずっと求めてきたことのようにも思えてしまったんじゃないかなと。だからそこを頑張って続けてしまったんだろうというのが、痛いほど感じられて、その心を思うと、涙が出たのです。
私も、宗教に没頭した時、(いくつも渡り歩いてきたけれど)各コミュニティでものすごい勢いで活動していた時、「認められている」という、ずっと欲しかったものがそこにあった。その引力はすごかった。
でも、心身が悲鳴をあげるから、結局どれも続かない。やっぱり、自分を偽るということは続けられないからだ。
そういうことを繰り返してきて、去年の10月から初めて、長期でコミュニティというものに所属せずに暮らしている。そして今関わっている人は、人生の先輩ではあっても、人として上下をつくらないような人。
生傷の絶えないような人生だけど、何かある度に世界が広がっていくし、今回の病からのメッセージは本当に色んなことがひっくり返るほどのことを受け取っている。
これからも色んな人に出会って、上下の無いコミュニティには参加していきたいし、自分でも場をつくっていきたい。でも真ん中には「自分への愛を」というのを大切にしていきたい。
私は、今の心と身体に目を向けてあげながら、世界と繋がっていきたいんだ。
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