アイネクライネ
「先輩その楽譜どこで買えますか」
学生の頃、部室でピアノを弾いていたら一人の後輩が駆け寄って声をかけてきたことがある。
普段は自分から話しかけてこない大人しい子。どちらかというとコミュニケーションをとろうとこちらから話しかけるようにしていた子。そんな後輩が声をかけてくれたのが嬉しくて驚いて、私はその楽譜をあげることにした。
米津玄師のアイネクライネ。
初めて聴いたとき、なんて正直で綺麗な歌詞なのだろうと思った。自分が望んでいた人との関係の最終形態はこれだとさえ思った。これまでうまく言葉にできなかった、言ったところで理解されないかもしれないと感じていた気持ちが全てこの一曲に詰まっていると思った。大袈裟かもしれないけれど、やっと出会えたと思った。だから普段はあまり買わない楽譜を買って、大事に弾いた。
いつもはあまりはしゃがない後輩が、こんなにキラキラと迫ってきたのが可愛くて、ああ、この子もすごくこの曲が好きなんだなと感じて、心がほんわりとした。楽譜を渡したら、その子は大事そうに両手で受け取った。なんだかとてもいいなと思った。嬉しかった。
私が卒業して他県に引越をするとき、その後輩がメッセージをくれた。「引越先がどうか先輩にとって住みやすい街でありますように」。この愛で溢れたメッセージを二十歳そこそこで綴ることができるその子をいとおしく思った。決して器用な子ではなかったし、イージーモードな印象でもなかった。それでも彼女の見ている世界はユニークで優しくて思いやりに溢れていたことに気づいていた。特段仲が良かったわけでも、一緒に騒ぐような間柄でもなかったけれど、いつもどこかで気になっていた。おとなしくて目立たないけれど、危なっかしくて魅力的で想像力豊かな子。あの狭い部室でアイネクライネを共有した子。
同じものを良いと思う人が近くにいるという事実だけで少しだけ強く生きられるような気がする。たとえそこでしか交わらなくても、それぞれの世界線を一緒に歩く仲間ができたような、心強い気持ちになる。
仕事の都合で引越の多い私は、今でもたまにそのメッセージを読み返す。そして、その子が目を輝かせながら駆け寄ってきた時のことを思い出す。完全に分かり合えるなんてことはないにしても、同じものに触れた時に、その一瞬でも分かり合えた気持ちになれることが嬉しいんだよね。