ピュア
同じ柔軟剤の香りがするという「偶然」も、使う絵文字が似てくるという「微妙な変化」も、見逃したことはない。制服の下につけているネックレス、こっそりお揃いにしているスマホケース、同じタイミングで使われる有給、見つけたくないものほどわかりやすい。
大事な時に助けてくれない人と一緒にいる意味が分からない。褒めてくれる、ちやほやしてくれる、可愛いよって言ってくれる、そういうので認められた気になってそれが恋だと思い込んで、でもやっぱり違うなって心が萎む。いつだって誰とだって、私は背中を向けて眠りたい。
鏡にうつった、いつもよりも丁寧につくられた顔。涙袋のラメが光って私に訴えてくる。今日も褒められなかった。私は精一杯のお洒落をしてきたのに、相手はいつものスウェットだった。いつか誰かが言っていた「ラメ食べて生きていける」って言葉を信じていた。キラキラさせれば可愛くなれて、キラキラさせれば幸せになれると思っていた。自分が満足するためのメイクだってわかっていた。それでも、それでも、今日くらい可愛いと言われたかった。「今日こそ」って勝負をかけ続けて数ヶ月、私の価値観も相手の価値観もうまい具合にぼやけたまま。つい【本質】というワードをググってしまうけれど、ググって出てきた答えが【本質】なわけ無かった。
君がドライヤーをしてる。私はぼんやり歯を磨きながら、今から起こることを考える。きっとおやすみって言ってみたあとにキスをして、テキトーに最後までするんだろうな。いつもの流れ。それで大事な話もできずに朝になって、不機嫌な顔をまたラメでキラキラさせてバイバイって言う。何度これを繰り返せば満足するのだろう。誰といてもどこにいても私は第三者。そこまでして傷つきたくないのだろうか。
ああ、これが恋ならば、私が憧れていた恋って何なのだろう。この世に恋って正しく存在しているのだろうか。私という人間が私の理想とする形で誰かに認められたとして、果たしてそれは恋になるのだろうか。
どうせ誰も助けてくれないくせに。『木綿のハンカチーフ』の歌詞のような恋愛だとたとえられるのはうんざり。恋にしたたかさと誠実さはどちらが必要ですか。数日前に「勿体ない」と言われた。嬉しいような引っかかるような、複雑な心境のまま愛想笑いをした。誰かの言葉だけじゃ何も変わらない。自分でよじ登らないと、自分の足で歩かないと何も変わらない。甘い言葉をいくらもらっても、それだけだ。
誰でも良かったくせにって言いたくなる瞬間に何度でも出会う。その言葉を投げつけたくなるとき、もう一人の自分が必ず言う。「誰でも良かったのは私だって同じでしょ?」言い返せない。ずっと「誰かのいちばん」を目指してきて、ずっとその「誰かのいちばん」がどこにあるのか分からない。死ぬまで満足できない。いつも何かが足りない。それでも空腹に慣れてしまっているから、満腹になったら生きた心地がしないのだろう。ほら、ひとりが楽じゃん。
あの子は弱いから可愛いって誰かが笑ってた。意味わかんない。あなたはピュアだねって何だよ。みんな黒い腹して嗤ってんでしょ。キスもセックスもなしで、ラメもミニスカートもなしで、ただ一緒に過ごしたいって言ったらキレられるだろうなって人ばかり選んでしまう。自分を大切にできないから、秋はより一層寂しい。