明るい未来がみえません→見つけろ、テメエで
この一節は2002年2月、新日本プロレス札幌大会のリング上「猪木問答」と呼ばれた一コマ。「見つけろテメエで」はもちろんアントニオ猪木の言葉。
新日本プロレスが危機的状況下にあったなか、若手選手がぶつけた「明るい未来がみえません」に対して新日本プロレスの絶対君主であった猪木が「見つけろテメエで」と返すのですから、やはり猪木一流の名(迷)問答だったかもしれません。
このとき現場責任者を任されることとなった蝶野正洋選手は、若手レスラーが客前で大見得きって「新日本プロレスは俺が守る!」など強気な発言をすると思いきや、あまりに正直すぎる「明るい未来が見えません」に吹き出してしまったとか。
翻って日本社会を見るに老後2000万円など少子高齢化、人口減少待ったなしの2019年現在、「どげんかせんといかん」よりも「明るい未来がみえません」と厭世的な気分が蔓延しても不思議ではないと思われる中で先週の参院選投票率は50%を下回り、週末のメディアの話題は吉本興業のお家騒動一色という状況。
「おいおい、どうしたミドルエッジさん。そんな深刻そうな面しちゃって」とツッコまれそうな発言ですが、元々ミドルエッジを立ち上げた背景にはコレがあるのです。
明るい未来がみえません→見つけろ、テメエで
2025年には国民の3人に1人が65歳以上となる日本、いまから6年後にその光景が訪れることってどのくらいのインパクトがあるでしょう。思えば1980年代、30代といえば随分と落ち着いた大人として扱われていたはずが、現代では40代でも若手やアイドルやってたりと、私たちの国は人口ピラミッドの形にあわせて世代のイメージを変えてきました。というか変えざるを得なかった側面があることでしょう。
「もはや定年なんてダサい」「一人一人が個性を生かして輝ける社会(もちろんシニアも)」なんてコトバがメディアで飛び交う時代には、事実として健康に動ける年齢は高くなる一方、老後を許さない経済事情と個性を磨いて発信し続けなければ没個性で脱落してしまう世界が待っている気がします。
何様とかでなく、そうした社会の到来に対して外国人労働力、観光立国、AI活用など様々な打ち手で国力の維持に努めるのが大事であることはもちろん、こうした世の急激な変化にあって厭世的な気分が蔓延しきってしまう前に、少なくともいまはまだ「若い」団塊ジュニア世代あたりが、自分たちの老後に若い世代へ依存することなくワクワク出来る日常を整備すべく知恵を絞っていかないと、と感じるのです。コチラの記事で書いたこと、本気で挑むのにはもう待ったなしの状況だと考えています。