イエスは神の子であり人の子でもある
ティク・ナット・ハン師(世界的に有名な仏教徒)は、生来の素直さをもって、ある問題の核心に迫ります。キリスト教の三位一体説と、仏教の「インタービーイング(相互共存)」を併置して詳しく比較検討したのちに、キリスト教の世界を代表する第一人者と、何億もの人に認められているヨハネ・パウロ2世に対して異論を唱えます。彼の著書『希望の扉を開く』のなかでヨハネ・パウロ2世は次のように述べています。
「キリストが絶対的に独特(オリジナル)であり、比類のない、ユニークな存在である。もしキリストが単にソクラテスのような「賢人」、モハメッドのような「預言者」、釈迦のような「悟りの人」にすぎないとするならば、キリストは本来のキリストではあり得ないことになるでしょう。キリストは(神と人とを結び合わせる唯一の仲介者)なのです。」
この一説を引用して、ティク・ナット・ハン師は、こう語りかけます。
しかし「深いこの発言は、三位一体が教える、神と子と精霊が分かちがたい一者という神秘を反映していないように思われます。そしてまた、キリストも人の子であったという事実も無視した発言です。事実、クリスチャンだったら誰でも、神に祈りを捧げる時には、神を「父」と呼びかけているのです。なるほどキリストは、絶対にふたりといないユニークな存在に違いありません。この世にユニークでない人がひとりでもいるでしょうか。ソクラテスもマホメットもブッダも、あなたも私も、みんなユニークなのです。この発言の背後には、キリスト教のみが唯一の救いの道を提供するのであって、他のすべての宗教は役に立たないという観念が働いているのではないでしょうか。この態度は、対話を阻み、宗教的不寛容と差別意識を育てます。これでは助けになりません」
※ユニークとは、唯一の、無比の、独自の、個別の、などを意味します。尚、新約聖書では、イエスが「人の子」といわれているところが88回も出てきます。この記事は決してキリスト教に対してのアンチテーゼではありません。あくまでイエスが「人の子」であったという事実を述べております。
それに反して「神の子」であったかどうかは人それぞれの解釈によって委ねられるでしょう。
では最後にカトリック信者、若松英輔さんの言葉で締め括りたいと思います。
「私のイエスは、教会には留まらない。 むしろ、そこに行くことをためらう人のそばに寄り添っている」
(イエス伝より)
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