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平野智紀「沼津の牛臥山と函館の臥牛山、ときどき森鴎外」(4日目)

今日は沼津市立図書館に伺いました。郷土の資料を調査するなら、地元の公共図書館に勝るところはありません。

中でも、すずき孔さんによる「まんが沼津兵学校物語」は、沼津兵学校の先進性がわかりやすく説明されていて、勉強になりました(沼津史談会(2019)『沼津史談70号:沼津兵学校150周年記念誌』, pp.55-74)。西周も、オランダ時代の写真を元にしながらイケメンとして描かれています。すずき孔さんは愛知県出身で、歴史まんがなどで実績がある方です。

西周は島根・津和野藩の出身で、森鴎外と同郷の縁戚にあたります(ただし西は鴎外より30歳ほど年上)。鴎外は西夫妻の仲立ちで、沼津兵学校の教授であった赤松則良の娘の登志子と結婚しています。鴎外は1898年、西周が亡くなった翌年に、伝記『西周伝』を執筆しました(下記の写真は1972年発刊『鴎外全集:第3巻』岩波書店, p.45より)。その『西周伝』にあとがきを寄せていたのが、西とともにオランダに留学していた榎本武揚でした。

私の理解で、仮に人物相関図を書いてみました。沼津の発展に尽くした江原素六は、榎本武揚とともに戊辰戦争を戦ったのち、箱館には行かず、沼津兵学校の職員を経て沼津に残りました。榎本武揚は、箱館で敗戦後、北海道の発展に尽くしました。西周らを介して、沼津と函館がつながるような、つながらないような…

ちなみに函館山は臥牛山(がぎゅうさん)と呼ばれますが、沼津の御用邸近くには牛臥山(うしぶせやま)があります。いずれも、牛が臥して草をはんでいる様子に似ていることから名付けられたようです。牛臥山は標高70mと、334mある函館山よりずっと小さいですが、シルエットは函館山と似ているような気がします。

追伸:あす10/4(金)18:30- 沼津市内のyadorigiにて、交流会・ワークショップを企画しています。沼津・三島・清水町に滞在している旅人4名が全員集合する予定です。よろしければぜひ!

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