魅せる文章について少し考える
「情報」としての文章か、「芸術」としての文章か。
わたしの好みは「芸術」だ。読むときにも書くときにも、説得力より想像力を酷使する。繊細な景色が頭の奥に映るかどうか、文字の綴りのバランスはどうか、言葉の響きは心地が良いか。
昔から文章力を褒められることは多かったけど、執筆前に細かく構成を練った経験は1度もない。塗り固めてから書いてしまうと言葉の鮮度が落ちる気がする。
構成メモを書いておいたら、時間が経ってもそれを見ながら同じ文章が書けるだろう。だけどわたしは忘れてしまったが最後、もう2度と同じものを紡げない。弾き語りや鼻歌みたいに、即興で曲を作るのとたぶん似ている。
代わりに気を配るところといえば、とにかく徹底的に細部だ。比喩、文末、語感、世界観。noteを始めて4日目の今日はわたしがこだわる細部について、「情報」としての文章を少しだけ書いてみようと思う。
最も分かりやすく簡単なのは文末表現、文の1番最後の1文字。句点を打つたびに注意を払うだけで、段落としての語感がかなり左右される。
例えば前の文が「~でした。」と過去形で終わるなら、その次の文は現在形や疑問文にしてみたり、最低でも「た」と同じア段は避けたり。そうすると、同じ文末が連続した場合に比べて生き生きとした動きが生まれる。
もちろん通して読んだときに問題がなければ構わない。臨場感を出すためにあえて体言止めを連発することもあるくらいだ。ただ、文の最後の1文字までを活かしきれたらそれで良いと思っている。
次いでわたしが気にするのは世界観。これは独創性とか奇抜さとかの大それた類いではなくて、文章のテーマに応じた統一感の有無のこと。比喩表現や言葉選びに注意しながら全体の彩を重ねていく。
季節や場所に焦点を当てる場合なんかはやりやすい。「夏」がテーマの文章ならば夏らしい単語を積極的に使ったり、「日本」を題材とするなら片仮名を徹底的に排除したり。
この文章はあえて言うなら「芸術」なので「塗り固める」「曲を作る」「彩」など、何となく“らしい”と主観で感じる言葉をところどころに散らしている。
エッセイとしてnoteを書くときは見出し画像を最初に設定しておくのがおすすめだ。自然と頭がその世界観に持っていかれて統一感を出しやすくなる。
あとは文章の冒頭で綴った話をむすびとして再び持ってくることも結構多い。一昨日の記事だと初めに出した「お酒」という言葉を最後の最後でもう1度登場させた。
完全にエッセイや小説、つまり「芸術」向けの方法だけど、文章以外に漫才などでもよく使われているような気がする。途端に一貫性という軸が通った感覚になって密かに好きだ。
このときに徹底しているのは、最後まで決してその単語を出さないようにすることだ。
説明的でありながら目次を持たない今日の記事。それはわたしが相も変わらず構成メモを作らなかったためである。
何かのお役に立てれば幸い。
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