今、想像する未来に、わたしはいない。
「意識レベルそのものが変わっちゃうんだから
どこでもいい(なんでもだいじょうぶ)なんだよ」
それが、昨晩、瞑想中に聴こえてきたメッセージでした。
先のことを心配しても仕方がない。
そんなことはもちろん、誰もが頭ではわかっていたつもりなのだけれども
これはつまり
頭のなかで傷つくような状況を想像してしまっていたとして
↑せっかくなので、試しになにかご自分で想像してみてほしい。
例:
●今、住んでいる場所を失うかもしれない
●好きな人と別れているかもしれない
●仕事を失うかもしれない
etc
けれども、
もし、それが実際に起こるとしても
その出来事を体験する頃(未来)には、
意識レベル=認識のしかた、感じ方自体が今とは違っているはずなのだから
たとえ、その状況が来たとしても
「実際にはそこまで辛くはないだろう」
ってこと。
意識レベルってゆうのは、
内面から、そのものが進化(純化)・成長して、執着が減るってこともあるのだけれど
もちろん、外側の環境や状況の変化により、もたらされることもある。
例:
●ほかにもっとすばらしい条件の場所に移ることになる
●自分にも別に好きな人ができる、もしくは夢中になれるミッションや使命に気づき、他者との関係性がそれほど重要じゃなくなる
●じぶんのステップアップにつながる別の職や目標が見えてくる
など。
1ヶ月、いや、1週間先の暮らしでさえ、想像もできないほどの激動の今。
わたし自身、日々、不安になったり、知らず知らずのうちに、恐れで身体がこわばっていることもある。
だからこそ
何度でも思い出したい。
今、心配できることはなにもない。
なぜなら、そのミライに、「今のサイズのじぶん」は存在しないのだから。
そして、
もちろん
現在において、不安なきもちを少しでも減らせたのなら、
結果的に、その不安から想像された未来が実現する可能性は格段に減る。
なぜなら、この世界のすべての現象は、今、この瞬間の意識がつくりだしているものなのだから。
This moment makes next moment.
電車を乗り換えるのとまったく同じくらい
ごく当たり前に、
わたしたちは自らの生きる次元を
瞬間、瞬間に切り替えているのだということ。
この感覚、
伝わったらうれしいなあ。
I trust the universe
as I trust myself.