「名は体を表わす」を実感した話
こんにちは!
子育てごはんの専門家 たみこ先生 こと
横地 多実子(よこち たみこ) です。
このところ、毎日のように大きな気付きがあって
自己理解がどんどん深まっています。
今日もそんな「気づき」のお話しです。
きっと長文になります。
いま20時過ぎですが、今日中に書き終えられるかな?
と思いつつ、つらつらと書き進めようと思います。
よかったら、最後までお付き合いくださいね。
昨日、ファブリックアーティストの友人がサロンに来てくれました。
彼女が持ってきてくれた「喜八洲のみたらし団子」と
ささやんファームの「ホーリーバジルのハーブティ」と
私が用意した「フレンチトースト」をいただきながら
あれやこれやと、とても楽しくお喋りしました。
彼女の生み出すスラッシュキルトは、
あたたかさと、やさしさと、深い愛。とても繊細だけど、強さもある。
そんな唯一無二の世界観・宇宙観が大好きなのです。
彼女の作品はコチラ ↓↓↓ で見てね。
この白い壁にスラッシュキルトを飾りたい!!
サロンを移転した時に、
彼女なら、わたしとサロンに最高の作品を届けてくれるに違いない!!
なぜかそう確信して、3ヶ月前に依頼しました。
スラッシュキルトは、とても手間暇かかるオンリーワン作品。
時間がかかることも当然と思い、楽しみに待っていました。
すると5日前、彼女からメッセージが届きました。
このメッセージを読んで、わたしはハッ!!としました。
こころが整っていなかったのは、わたしの方だったのです。
こんなメッセージのやり取りをして、昨日の訪問となりました。
イスに座るや否や、彼女が尋ねてきました。
「みこさん、この3ヶ月の間に何があったの??」
この3ヶ月間に何があったのか?
一番初めのきっかけは、おおのぎむつこさんのブレイクスルーセッション。80分お喋りしたら、パンドラの箱が開いてしまったの。
その次は、ハセクミさんにビジネスサポートしていただいたこと。
自己信頼がどんどん高まっているよ。と伝えました。
詳しくはコチラに書いていますので、よかったら読んでみてください。
わたしの変化のきっかけとなった出来事を聴いていた彼女は
「あー泣きそう。その言葉、わたしにも必要な言葉だった。」
と、わたしの話をしっかりと受け止めてくれました。
わたしがひとしきり話し終えると、
「ゆっくり育ってきているというのはね、、、」
と、彼女が話しはじめました。
ゆっくり育ってきているのは、、、
「3ヶ月前のみこさんは、ふんわりとしたやさしいイメージだったの。
そのイメージが具現化するようにと思って待っていたけど、
ずっとモヤがかかって見えてこなかったの。
それが最近になって、真っすぐなイメージが感じられてきて。
その真っすぐなイメージは、黄色でね、稲穂を表わしているの。」
彼女のその言葉を聴いて、
あぁ、なるほど! !
と、わたしはすべてを納得しました。
『名前の書』
「実はね、3年前に『名前の書』をプレゼントしてもらったの。
それは、書家の浩戸(ひろこ)さんという方が描いてくださったものでね
そこに描かれているのが、黄色の稲穂。
力強く、真っすぐな、黄金の稲穂なの。」と伝えると
「うわー、ぞわったした!!」と彼女は驚いていました。
わたしの名前(生まれた時につけてもらった名前)は、
米原 多実子/よねはら たみこ
『米の原に多く実る子』と書きます。
文字通り『五穀豊穣』『たわわに実る稲穂』のイメージの名前。
生まれた時から、食に関わる人生だと決まっていたようにも思えます。
この『名前の書』を受け取った時、
浩戸さんが言葉をかけてくださいました。
「もう大丈夫。これからは多実子さんとして生きて下さい。」
すると、わたしの目から涙がボロボロとこぼれ落ちました。
10年ほど前から多実子という名前を殆ど使っていなかったからです。
(この日を境に、多実子で生きていくことを決めました。)
実は、わたしは、子どもの頃に名前でからかわれた経験があり
多実子という名前があまり好きではありませんでした。
また、10年ほど前にある学びの場で言霊に触れる機会がありました。
その時に、「た」は縦の「た」。縦に貫くイメージ。
とても男性性の強い音だと教わりました。
これら二つが重なって、
女性向けの料理を仕事にしていくにはきっと不向きだと考えて
「たみこ」より、やわらかく女性性の強い「みこ」という言葉を
「愛称」として使いはじめたのです。
身近な人たちから「みこさん」と呼ばれているうちに、
自分でも「みこ」と名乗るようになっていました。
このようなことを彼女に話していたら、
わたしは、また、重大なミスを犯していることに気付きました。
名は体を表す
「名は体を表す/なはたいをあらわす」という言葉があります。
文字通り「名前は実体をそのまま表す」という意味の慣用句です。
人や物や事につけられた名前は、
そのものの性質や、ありのままの姿や、本質を如実に表している。
(場合が殆どだ)という意味だとわたしは捉えています。
それにつけ加えて、
名前には何らかの意図(使命)が込められている。
名前は生まれる前に自分で決めてきている。
と、わたしは以前からそう信じて生きています。
わが子たちの子育てでも、その信念を貫いてきました。
2人とも名前の通りの若者に育ってくてれて嬉しく思っています。
それなのに、わたしは、
自ら「みこ」という愛称を使い始めてしまいました。
愛称といえど、名前は名前。
身近な人たちから、何度も何度も呼ばれているうちに、
自らも、「みこ」として生きるようになっていました。
映画「千と千尋の神隠し」のエピソードで例えると
主人公の千尋は、湯婆婆に「尋」を奪われて「千」になりました。
わたしは、自ら「た」をはずして「みこ」になりました。
つまり、わたしは、
生まれる前に決めてきた人生とは別の人生
偽りの(実体のない)人生を
自ら選んで、しばらくの間生きていたのです。
そうか。。。
辛かったり、悲しかったり、苦しんだり、傷ついたり
いっぱい、いっぱい苦労して、10年近くも 回り道してきたけれど、、、
それは、きっと、恐れと勘違いを手放して
再び『米原多実子の人生』を歩むため。
生まれる前に決めた使命につながるためだった!!
と気づいたのです。
実り多かれと生を受けたものであれば…
2022年11月、大阪市内で開催された
草場一壽さんの陶彩画新作展を観に行きました。
そこで心惹かれて、しばらく見入っていたのが、こちらの陶彩画
豊穣の女神 ラクシュミー様 でした。
作品の横に掲示された説明書きを見て驚きました。
『実り多かれと生を受けたものであれば…』
あぁ、わたしのことだ。
おこがましいと感じられるかもしれない。感じられても構わない。
ラクシュミー様のように豊穣の恵みを与えられる人で在ろう。
そう在れるように、精進し続けます。
長い長い私の旅に、最後までお付き合いくださりありがとうございました。
よこちたみこ