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記憶の地図旅と、現実の京都旅


Googleマップにマーキングするのが癖だ。

行きたいところ、行ったことのある場所、思い出のお店。ハートやら星やらつけていく。お陰で地図を広域にするとピンクやら黄色の点々だらけで、集合体恐怖症の方はとても見ていられない地図になっているのではないかと思う。

最近京都に住んでいた頃のことを思い出すことがあり、Googleマップ上をお散歩していた。京都は大学時代に4年間住んでいた。当時の自宅近くの店を数々見ていくと、学生の分際でよくもまぁしょっちゅう外食していたなぁという記憶が蘇ってきた。学校が終わったらみんなでチャリを押しながらごはん(という名の飲み)に行く。門が閉まるギリギリまで学校に居たりして、目についた人から「今日の夜何してるん?飯いかん?」なんて会話が飛び交ったり。今日は一人になりたい‥‥という日もあった気がするけれど、楽しかった。



大学3回生から2年間スナックでバイトをしていた。

1年目は週に1日しか働いていなかったが、2年目にはお金欲しさもあり、週2〜4日くらいは働いていたと思う。

大学4回生の1年間は、大学での制作やらプロジェクトで生活的にも精神的にも非常にヘビーだったが、バイトもそれなりに頑張っていた。というか寧ろ、学校に居る時の普段の自分とは違うテンションの自分になれたので、息抜きみたいになってバランスが取れていたのかもしれない。

開店前、近くのドラッグストアに製水を汲みに行く。高いヒールに、ドレッシーなワンピースを身に着けて、ママチャリの籠にペットボトル2本載せて爆走する。その様子を偶に大学の知り合いに見られたりしていた。普段あまり会話をしないような、顔見知り程度の知人の場合には見つからないようにこっそりと、仲の良い人の場合には積極的に普段と違う自分アピールをしていった(笑)

バイトが終わると、お客さんに誘われてアフターに行ったりもした。太るし、眠いし、明日早いししんどいなぁなんて思いながらも。でも飲んだくれた後の塩分たっぷり定食や、麺類、お刺身なんかは最高に美味しかったなぁ。おまけにバイトではビール党だったので、おかげでしっかり太った!

ある時バイトから帰っていると、向かい側から大学の同期や先輩が歩いて来た。「おぉ!お疲れ!」なんて言いながら、一緒に落ち合って真夜中に定食を食べに行った。先輩がもうすぐ留学に行ってしまうということが発覚し、送別会未満の小さく短い夜会になった。



記憶を辿ることは延々と続き、果ては暴走してしまいそうになる。あんなこともあったなぁ、こんなこともあったなぁ、楽しかったなぁ。そう思っているうちに、どんどん美化していっている気もする。京都が恋しくなってきた。
記憶旅も程々に、
そうだ、(次の休日に、)京都行こう。



ここまでのテキストをnoteの下書きに眠らせてから早約9か月が経過。この間京都へ行くことはなかったが、つい先日3年半ぶりに京都に行ってきた。住んでいる神戸からこんなに近いのに、何故今まで行かなかったのか。何となく、京都を現実にしたくない気がしていた。大学時代の思い出に上書きをしたくなかったというのが正しいか。

基本的にフッ軽とは真逆の出不精なのだが、思い立った時に予定さえ合えばものすごい行動力を発揮する。最近能楽に興味が湧き、どうしても今!気が変わらないうちに!見てみたかったのだが、偶々直近でやっているのが京都開催だったから京都に行くことにした。決して京都に行きたかったから、ではなかった。

それでも、久しぶりに京都を味わえることに行きの電車の中でワクワクした。お目当ての能楽を見ている最中も、途中集中が切れて、この後どこ行こうかな~なんて妄想したりしていたことをここに白状する。

大学4年の時以来の平安神宮にお詣りし、自主映画の撮影で使わせてもらっていたカフェに行って食事をし、新京極にある「京極スタンド」に行って、一杯ひっかけてきた。

平安神宮
このグリーンと朱色の色合いがたまらない
さらさ 麸屋町
深いグリーンの窓枠に惹かれて早7年
お客さんの服装まで深グリーンだった
さらさ 麸屋町
もう一度京都に住むならここに住みたい
(いや住めない)


京極スタンドの大正ロマンな雰囲気は学生時代から大好きだった。チャキチャキと注文を取ってくれるお母さん、相席で所狭しと食事をし、お酒を飲み、タバコを吸うお客たち。そんな大衆食堂。今改めて訪れてみると、自分の中に、コロナという時代の変化が大きく横たわっているのを感じた。目の前もすぐ隣も知らないおじさんやお姉さん。こうした空間は悪くないし、寧ろ好きだと思った。でも(正直お酒を出されてマスクを外すまでは忘れていたのだけど)今私はコロナの時代を通過してきていて、少しの抵抗感を感じた。ただ、時代が変化してもこうして店が残っていてくれて本当に良かったし、分け隔てなく接してくれる店員さんとこの店の雰囲気がとても好きなことに変わりはなかった。

京極スタンド
ワクワク
京極スタンド
魅惑の、見方が難しい伝票



帰宅してから、久しぶりに訪れた京都を振り返る。正直大きな感動も感慨もなかったし、そもそも期待していないつもりだった。それは寝不足の為感じる力が衰えていたからだろうか。わからない。ただ言えることは2つ。
何事にも言えることだが、妄想したり、追憶したりし過ぎると、現実をただ真っ直ぐに味わうことは難しくなるということ。
もう1つは、”懐かしい場所に行くこと”自体に、昔より感慨を覚えなくなっているということ。この理由を明確にするのは難しい。高校を卒業してからの10年間で西へ東へ引越しや移動を繰り返してきたからだろうか。どの場所も自分の庭、みたいな気がして。庭が広大に広がっていく感覚。それは嬉しいことでもある気がするし、寂しい気もする。

しかし、自宅がある土地から少し離れることは、日常をより大切に味わおうとするきっかけになることは確かだ。京都に住んでいた時には気づかなかったことに気が付き、当時見向きもしなかった京都の歴史的側面に興味を持ち、時間も経って時代が変わっているから当然感じ方も変化した。自分の庭感覚とは言え3年以上再訪しなかった場所だ、味わいたいという意思を持って小さなことにも目を向けようとする。
すると、自分の今生きている場所でも新しい発見があるかもしれないと思えてくる。日常の中で少し視点をずらして、小さなことに目を向けてみるだけで、見える景色が変わる可能性がある。それを教えてくれるのが、現実の旅なのかもしれない。

新京極の成り立ちなんぞ
初めて目を向けた




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