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ねぎの美しさも見逃さない全集中を目指して

先日バイト中に、一緒に働く女の子が細かく刻んだねぎを指さし私に言った。「このグリーンって本当にきれいよね、紅しょうがの赤と緑のコントラストがまたこのねぎを際立たせるわね!」と。その時は、「Yeaah!」としか反応できなかったけど、バイト中にねぎの美しさに心を奪われる貴方の心が美しすぎりやろ!と一人つっこんだ。バタバタとした時間の中でさえも小さな美しさを見逃さない彼女の人生はきっと豊かなものだろうなあと思った。

私のこれまでは、高速でビュンビュン飛ばす車のように生きてきて景色などあまり楽しむ余裕などなかった。それでも目的地へ向かって飛ばしている間はそれ自体が楽しかったし、別に景色なんてどうでもよかった。だけど、その瞬間瞬間に垣間見える自然や人の美しさに気が付けるという生き方は、高速でぶっ飛ばす生活とは違った味わいがある。そうすると日常のなかの細かいところにいろんな発見があることに気が付くのだろう。丁寧に生活するのは悪くない。

また、私は「ながら」が昔から大好き!勉強するときにはまずおやつを準備する。お菓子を食べながら勉強するため。テレビを見る時も、お風呂に入るときも、音楽を聴くときもスマホを片手になんてこともよくある。だけど、それって時間を有効に使おうとするあまり、いろいろ詰め込みすぎて全部を満喫できていないばかりでなく、自分の気持ちや感覚も埋もれさせていたかもしれない。いつもせわしなく走り続けることが習慣だった私の悪い癖なのかもしれない。

「ながら」でなにかをやることが習慣化すると、例えばいつの間にか食べ物がなくなっている!え、嘘、ビールもうないし!みたいなことが起きる。ひとうひとつに注意を払って過ごすことはその瞬間をより際立たせじっくりとその瞬間を感じて生きることができる。食べ物も一口一口を味わい堪能すると満足感も増す。そんな食べ方はガツガツ食べてビールで流し込むみたいなのとは対極にある。

私たちはいつか死ぬ。その死ぬ瞬間に向けて今この時もカウントダウンしている。それを思うとき、この一瞬を味わいつくさないでなんとなくなにげなく過ごすことがなんともったいないことだろうと思う。ねぎの美しさも見落とすなんて!なんというもったいない過ごし方をしているのだろう私は。これからは日常の些細なことにも目を向け、味わい、過ごそうと思う。そうなると、ひとつひとつを意識的にやっていくことになるだろう。「ながら」な生き方から一つに集中する生活を心がけていこうと思う。全集中は人間が修練を重ねて身に着ける技術である以上(鬼滅の刃より)誰もが手にする可能性のあるものだろう。私もまず食べる時に食べるものに集中して味わいつくし全集中の技術を磨いていこうと思う。(本気)それが板についたときにはこの世はなんと美しいことか!と世界の見え方もきっと変わっているだろう。全集中を身に着けて、毎日を色濃く過ごしていこう!

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