Micky

幸せは広がるもの。だからまずは自分のご機嫌は自分でとる。みんなで幸せになってハッピーの輪を広げよう!日々の気づきをnoteにつづります。NY在住、baking専攻の大学生、ワンオペ4児の母ちゃんです!勝手に世界親善大使を名乗って活動中。お仲間も募集中!

Micky

幸せは広がるもの。だからまずは自分のご機嫌は自分でとる。みんなで幸せになってハッピーの輪を広げよう!日々の気づきをnoteにつづります。NY在住、baking専攻の大学生、ワンオペ4児の母ちゃんです!勝手に世界親善大使を名乗って活動中。お仲間も募集中!

最近の記事

  • 固定された記事

私がこの世に来た理由

楽しむために生まれてきた 辛いことも悲しいことも全部含めて この世を味わうために 心がいろんな反応をすること自体が 生きてるってこと 人生をカラフルに彩るために起きた演出 その時は地獄の底に落ち、絶望する それでも人は立ち上がり感動を味わう 生まれてきた意味なんてないのかもしれない だけど、自分が好きなことや心踊ることはある それは千差万別。それが個性。 それぞれがそれぞれの好みの世界を楽しむ それだけだ 私は楽しい気持ちや嬉しい気持ちがとても好き

    • 「私は正しい」の奥にあるもの

      正しさをかざし始めるとろくなことにならない。 「私は正しい」 きっとそうなんだろう。でもそれは他の人とって も同じこと。人の数だけ「正しさ」がある。 その正しさを主張したくなる心には守りたいものがある。 いったい何を守ろうとしているのか。 本当は大切にしたいだけなんだ。 傷ついたから、痛かったからそれを庇っているだけなんだ。 これまでの経験で拗らせているだけで、その元々 の根っこはぜーんぶ、愛。 そっちを見たらいいんだね。 強い怒りも悲しさも苦しさも何もかも主要成分は愛で

      • 自分らしくって?

        自分らしくあるっていうのはいったいどう状態なんだろう。どこまでも自分を認めていった先に残るのが自分らしくって状態なのかな。日本で生まれ日本で育った日本人のあたしが、もしもブラジルで生まれ育ったとしたら、私は今の私とは全く違う私になっていただろうと思う。そう考えてみると、そもそも日本に生まれたという時点で私は日本仕様バージョンの「自分らしさ」になる。でもブラジルバージョンの私と日本バージョンの私を比較しようとしてもそれはとてもナンセンスなこと。なぜなら、私の根っこは日本という国

        • 自分でこさえた型が窮屈なら壊してみよう

          今の自分に満足していますか?はーい、私満足してまーす!って胸を張って答えられる人はどのくらいいるのだろう。満足してまーす!な人はそのままGOー!でいいと思うけれど、そうでない場合、どこがどうなったら満足するのだろうか。今の私自身はまあ、おおむね満足しているけれど、もう一つ夢中になれるものが欲しいんだ。 これまで私は、世間に基準があって学校や会社に合わせて自分を見繕って生きてきた。その点では器用な方で、周りの求めるものにある程度合わせたりして生きてきた。余りにも適応できない状

        • 固定された記事

        私がこの世に来た理由

          どなたかの左足を移植してもらった夢

          何らかの理由であたしは左足を失った。そこで誰かの左足を移植してもらい、無事に私は左足を再び手に入れた。のだけど、その足は当たり前だけど私の足ではないことに、さみしさを感じている夢だった。私はこれまで私の足を大事にしてきたかな?当たり前に自分の足だと思うことは、そのありがたみを忘れさせる。 私は自分に不十分感をどこかに感じいていて、このままではいけない、なんとかしないと、と焦って生きているところがある。気持ちばかりが急いている。私よ、いったい何者になろうというのか。 そんな

          どなたかの左足を移植してもらった夢

          20年以上毎晩のように深酒をしてまで嫌な気持ちをごまかしてきた私。現実が様変わりするネガティブな感情の取り扱い方

          無自覚に見たくないものをごまかそうとしている習慣が飲酒でした。今でもお酒は好きだけど、これまではどこかストレスを感じていてそこから解放されるために飲んでいたんだな。そしてそのストレスの原因はあまりやりたくないことを無理してする生活とか、目を向けたくない気持ちとか、やむなく受け入れている現状とか、そんなものだった。ぼんやりとしたもので自覚はないし、そこをあえて見に行く必要もなければ、見なくてもなんとかなっていた。遠心力みたいな力で押されるように毎日を生活していたのだけど、それは

          20年以上毎晩のように深酒をしてまで嫌な気持ちをごまかしてきた私。現実が様変わりするネガティブな感情の取り扱い方

          そのこだわりを手放そう

          アメリカの子どもたちの服装はとってもラフ。だいたい男の子はスウェットとかジャージみたいなパンツ(女の子はレギンス)にTシャツかパーカーそんな感じ。そんな中、うちの息子はジャージをパジャマにしているので、彼にとってはジャージはパジャマ。なのでチノパンかジーンズをはいて学校に行くのが彼の身だしなみ。 今日は学校帰りにテニスがあるので着替えの短パンを持っていこうかどうか悩んでいたのでジャージで行けば?と提案した。しかしかれにとってはジャージはパジャマ。パジャマで学校に行くのは許さ

          そのこだわりを手放そう

          不登校は問題か?

          問題は問題ととらえたときに問題となる。日常で起きる出来事って同じ出来事であっても人によってとらえ方が様々。はたしてそれは本当に問題なのか?ということに尽きると思う。その出来事はただの事実であってそこにいろんな意味や解釈を加えているのは自分。そしてその意味や解釈は人によって違う。であればその意味や解釈を自分にとって楽な方を選んだり、学びに変えてしまったりする方が楽しくなると思う。 先日こんな出来事があった。我が家の小学一年生の4番目の娘が学校に行きたくないと言う。休み明けの初

          不登校は問題か?

          目が見えないのはかわいそう?

          人間って似たような姿かたちをしているけれど、みんなよく見ると違う、当たり前だけど。持っているルックスも能力も興味の対象も好みもみんなそれぞれで本当にすごいことだなあと思う、当たり前だけど。ピアニストの辻井伸行さんっていますよね、目が見えない本当に素晴らしいピアニスト。その辻井さんのお母さんが辻井さんが赤ちゃんの時に一緒に死ぬことまで考えたことがあるという話をしてた。目が見えなんて確かに大変だろうし、かわいそうな感じがするよね。でも本当に辻井さんはかわいそうな人なんだろうか。普

          目が見えないのはかわいそう?

          地味に自分のできることをする

          生きる意味って何だろう、ずっと心のどこかに置いたまま生きている。意味も何も幸せになるために生きているんだろうと思いつつも、今なにかそれだけでは満足できない。子どもが小さかった時分は、私の存在価値は凄くあったと思う。なんせ放っておいたら死ぬ子たちを育てたのだから。やりがいもあったし、辛いときもあったけど楽しかったなあ。今もまだ末娘は6歳で私が要らないわけではないとは思うけど、彼らはどんどん成長しだんだん私の必要度はどんどん下がっていっている。なんならもう後は社会に育ててもらった

          地味に自分のできることをする

          おもろいことしよう!

          これまであーでもないこーでもないと人のためになにかしたい!とか役に立ちたいとかいろいろ思ってやろうとしてきたけど、そもそも私が私自身を満喫することが先だろうと思い到った。 うちの娘は思春期真っ盛りの不機嫌炸裂させるような子なんだけど(もちろんいい子モードなときもある13歳)クリスマスってやっぱりいいよねえ、でもあと数えるとそんなにたくさんないんだよねえと。あたしはあと何回クリスマスをお祝いできるのだろう。85歳まで生きたとしたって、あと40回。意外と少なくない?75なら30

          おもろいことしよう!

          必要なものと必要でないもの

          余りじっとしていることが昔から苦手で、いつもなんとなくせわしなく過ごしてきた。瞬発力と行動力はあるのだけど、いつも軽率で見切り発車は当たり前、そしてすぐに飽きてしまうという傾向にある私。今も基本的には変わらないのだけど、少しずつ変化してきていると思う。特に少し前から取り組んでいる全集中(ひとうひとつにフォーカスすること)によって本当にそのことが自分に必要なのかどうかを判断できるようになってきているような気がする。例えば食べる時にビールの味、食べ物の味に集中することでその味を堪

          必要なものと必要でないもの

          感謝する日

          感謝って、いつもあって当たり前だったものがなくなった時にすることが多くないですか?私たちって当たり前にあるものにはあまり目を向けることなく過ごしていて、欠けているところばかりに目が行きがちですよね。せっかくならなくして初めて感謝するのでなく、日ごろから自分にすでにあるものを有り難いと感じている方がきっと幸せに過ごせるのだろうと思います。 すでにいっぱいもっていて十分なはずなのにないところに目を向けるとないものばかりが見えてきます。わたしたちのネガティビティバイアスという本能

          感謝する日

          アメリカ人に学ぶー失敗編ー

          アメリカに住み始めていろんな違いを目の当たりにして、アメリカ人には日本人にないいいところがあるなあ、真似しよう!と思うところがあるので今日はそれをシェア。 アメリカ人は失敗した時のリアクションが我々日本人とは圧倒的に違う。失敗したときに見かけるリアクションは、あーあとか、おっととか、びっくりしたー、みたいな感じが多い。失敗に対してまずいことをしたみたいにとらえていない。そうか、じゃどうする?という風に速攻事態を挽回する方へ意識が向かう。何事もチャレンジには失敗がつきものなの

          アメリカ人に学ぶー失敗編ー

          神様の胸を借りよう

          運命ってあると思う?私はたぶん、死ぬまでの人生はもうすでにすべて決まっていて、今こうして私がnoteを書くこともきっと全部決まっていたことを私がただ予定通りにやっているだけなのかもと思ってる。本当のところは誰にも分らないけれど、こう考えてみるととても気が楽にならない? 運命が決まっているなんて、じゃあどうしようもないじゃないか!と思うかもしれないけれど、ほんとどうしようもないんだろうと思うの。あの彼と結婚するとかしないとか、自分の今の仕事がうまくいくとかいかないとか、そうい

          神様の胸を借りよう

          恥かいてなんぼ、楽しんでなんぼ

          やってみたいことがあるならさ、どんどんやってみたらいいじゃん!とかってよく聞くよね。私も何なら言ってしまっていそう。だけど、実際できるかできないかもわからないようなことをやってみるのって意外とたいへんなことじゃない?できなかったらどうしようとか思うし、やってみてできないなんて、自分のダメさを直視せざるを得なくなるじゃんね。日頃自分で薄々感じてる「自分でダメだなあ」みたいな気持ちってそんなときに顔を出すのだと思う。 そんな弱気な自分に向き合うのってしんどいから、ついその自分が

          恥かいてなんぼ、楽しんでなんぼ