岐阜・郡上でつくる、僕だけの世界観
一目惚れした。
岐阜県のちょうど真ん中に位置し、飛騨の山々の合間を縫うように広がる水の街、郡上。
とにかく蒸し暑い美濃太田駅から、ローカル鉄道で1時間半。
山あいに入るにつれて、長良川の透き通った清流が目につき、標高を上った先にある、年季が独特の雰囲気を醸し出す、郡上八幡駅へ。
なぜこの地域を選んだのか、自分の感性に頼る部分がとても大きかった。
PCににらめっこする日々に慣れた挙句、自分の感性に結びつく感度が低下していくことに気づき始めたのは、今年の6月のことだ。
昨年から続くこの生活。東京にいるので、生活の利便性自体は高い。
しかし、それが故に、便利さに溺れてぬるま湯につかり始めた自分がいた。
楽な実家暮らし、寝坊しても間に合うオンライン授業。単調な生活でも、物質的に満足しているために全く現状に満足している。
でも、それに焦りを見せる自分もどこかにいた。
正直、今の生活がずっと続けばいいとは思う。楽だし。
でも、満足はできなかった。
自分は、昔から山が好きだった。年長になってボーイスカウトに入ると、とにかく「自然」に揉まれてきた。
自分の力のなさを、自然はいとも簡単にあぶり出す。
失敗を恐れて悶々としていては、どこへも進めない。
何度も挑戦して、何度も打ち砕かれてきた。
しかし裏を返せば、それは恵でもあることは、皆さんがお気づきの通りだろう。
おまけに、ひぐらしや風音は、私たちを哀愁漂う気分にさせる。
そう!「自然」は、自分の感性を、激しく浮き沈ませることで高めてくれるのだ。
逆に感性をフルに発揮しないと、生き残ることはできない。そういうことなのだろう。
しかし、いくら自然に親しんでいたとはいえ、自らの意思に依らずに大都市で育っている事実に変わりはない。
自然の中で、頼れるのは自分だけだ。
そんな環境に身を置くことで、自分だけの軸を再構築したい。
自分で「プロジェクト」を動かすことで、どんな環境でも一歩踏み出すことが出来る自分を作りたい。
自分が何者かを知るだけじゃなくて、地域という場で行動に移すことで、自然という場所にいる自分の如く、自らの羅針盤を以てこの先の学生生活を歩みたい。
その熱い思いがマグマのように湧き出てきたときに、気が付いたら郡上行きを決めていた。