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大学院の入試を辞めて、人生の旅を続ける。

「人生という物語を、ハッピーエンドで終わりたい」

椎名町の街なかを何も考えず歩いている時に、そんな考えが降りてきた。

大学院の入試に向けて研究計画書を書いたり、エントリーシートを書いては治す日々を送っていたが、

出願することをいったんやめようという考えが沸き立ってきた。


決まった時間に出てきて、決まった時間に降りていく太陽は、きょうもギラギラ輝いている。

木々にとまるセミたちは、命を燃やすかのごとく大合唱をしている。

遠くには、周囲にサイレンを鳴らしながらこちらに迫りくる救急車がある。


自分にとっては、その全てが宇宙の摂理の現れであるように見えたと同時に、わたしの琴線には憂鬱なメロディーに聞こえた。


憂鬱なのも至極当然。


なぜ目を通して見える世界が「憂鬱」に映ったのか。


自分自身の解決すべき問題

去年2023年は、これまで心のタンクに抑圧してきた感情が表面化した年だった。

・7月21日 
ちょうど自暴自棄になっていた。何もかもがすべてなくなってしまえばいいと思い、LINEを消した。

・10月23日 
朝、起き上がれなかった。頭は起き上がろうとしても、身体がストップをかけて一向に布団にうずくまったままだ。
前日の夜中から、人の命に関わるような事故を移したYoutubeの動画を見続けて、精神は疲弊しきっていた。この日、小学生のときから通い続けたコミュニティを、もう合わせる顔がない状態で縁を切った。

・11月23日 勤労感謝の日 
私の精神には、暴風雨が吹いていた。「自分は結局のところ必要とされていない」というインナーチャイルドに火が着いてしまい。
自分の命を絶つことさえ考え、もうすこしで意識がなくなるところだった。

「自分自身が傷つくことを恐れて、守ろうとしていた」事に気づき、翌日は東京湾を船で渡るたびにでた。雨はやんで、虹が出た。


大学3年生になり、格段に「社会」の現実を意識するようになる。

私自身には解決されていないインナーチャイルドがあり、このままでは社会の中で生きていく事ができないと感じていた。

例えば、人の評価に驚くほどセンシティブであること。
もともと長男として「兄弟に優しくしないといけない」規範意識を持って育ってきた実感がある。
他人が発する何気ない言葉一つをとっても、2人以上に話しかけているようにみえても自分の事を見ていないと感じるときもある。

就職をする中で、自分自身の問題に蓋をして頑張っても、いずれ限界が来るだろう。

自分の内面により向き合うことは、就職活動をすることよりも優先するるものだった。
そのために自分ができる最善の選択が「旅をする」ことだった。


大学を早期卒業して、旅をする背景は書けた気がする。


では、灼熱の道がなぜ憂鬱になったのか。


飛び級卒業したのに、大学院入試に至った理由

  1. 未来が見えないことが怖かった 
    未来がどうなっているのか見通せないことを思えば、3歳から21歳までの18年間は常に未来が見通せる環境にいた。未来の自分が頭に浮かぶと、必ずそこには学年を一つずつ上がっていく自分がいたからだ。でも今は学年階段のてっぺんに到達した。この先にも階段がある気がするが、階段を登り続けても幸せがある直感はない。

  2. 家族からの評価を気にしていた。
    生き様を考えるうえで、家族からの意識は外せなかった。特に大学教授をしていた祖父、会社を経営する叔父, そして父の影響は自分にとって大きなものだった。叔父は祖父に電話をするたびに「就職活動はどうなったのか」聞いてくる。どこからとなく、就職活動をしていないことに対する悪い評価をしている意識が飛び込んできていた。何らかの進学先を決めていることで、その評価から逃れることができる意識があったのだ。

  3. 妥協しようとしていた
    「家族や周りの方々からの評価」は、最終的に自分が進むべき道を「妥協」へと落ち着かせた。
    地域おこし協力隊をしながら大学院で研究することは、ぶっちゃけ自分にとって丁度落とし所が良い選択肢だった。理論と実践を往復しながら地域で自分がやりたいことを実践できる。この進路の選択肢なら、自分がやりたいことを地域課題と結びつける中で実践する事ができ、他人への評価に対する不安も払拭する事ができる。そう考えた。

    「落とし所がいい」という聞こえは良いが、20代の貴重な数年間を一つの場所に根ざしながら過ごすことになる。
    本当にそれでいいのか?自分にはまだ埋もれていて表に出ていない可能性ががあるのではないか?

「みっきーって、着ぐるみをかぶっているみたいだね」
そう言われた時、とてもくやしかった。

大学院の入試から撤退するか悩んでいたある日、その人とコーヒーを飲んだ。
「みっきーは、まだ外側に出てきていない可能性がたくさんある気がする」という言葉をもらった。
その言葉をもらった瞬間、自分の中のボイラーにマキがくべられた。


そのマキには、2つの魂が込められていた。
①「自分、もっとたくさんの場所をこの足であるきたい。もっと美しい世界をこの目で、身体全体で感じたい」
②「世界を感じる中で感じた愛や世界平和の魂を、自分のパートナーや子どもに伝えて、一緒にはぐくんでいきたい」

翌日、大学院の主任の先生にメッセージを送った。

メッセージを送る前に、もう一度自分自身に問いかけた。

「本当に悔いはないか?」
「進んだ道にどんなことが待っていようと、自分で責任を取れるのか?」

出した答えは、「All clear」だった。


大学院の研究室の先生に、思いきって送った。


これからのこと

大学院を辞退するメッセージを送って以来、これからの道を進むことを考えている。

僕は自分自身への挑戦のための旅をしたい一方で、社会とのつながりも大切にしたい。

やりたいこと①スペインを歩く 
スペインのカミーノ巡礼の道を歩きたい。歩く中で自分の人生のことを最後まで考えていく。

やりたいこと②幸福度が高い(といわれている)国にいく
フィジーやブータン、北欧の国々を改めて訪問してみて、見えてくるものを改めてみてみたい。

やりたいこと③人生最後の1年として生きてみる
私にはなにかの直感があり、社会の価値観がガラッと変わる出来事がここ数年間のウチに起きそうな感覚がある。
自分の身体から魂が離れる瞬間に「人生が楽しかったあ」としみじみと幸せの渦で包まれるような幸福感に包まれたい。そのために身体の直感にまず従ってみる。


「やらずに後悔をしたくない」
これが人生の選択の要素として常にあった。

まずは、大学院を辞める選択をした自分に拍手👏
これからも、人生を味わい尽くしていこう🌟























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