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#28 ジャン=フィリップ・ラモー Jean-Philippe Rameau   Prelude  Allemande   Deuxième Allemande   Courante(1706) L’Enharmonique (1728)


18世紀フランス(Ⅲ)
―非定量的記譜法、ノン・ムジュレを巡ってー
 
ルイ・クープランの作品から始まり、フランスの伝統芸「ノンムジュレ」を約100年にわたり辿ってきましたが、9月17日最終回はその行方をヘンデルのプレリュードに落ち着かせました。全3回を通じて「ノンムジュレ」様式を作曲に取り入れた作曲家を13人弾きました。題名を「ノンムジュレ」とした割にはその該当曲は少なく、結局バロック期のチェンバロ組曲を紹介することになりましたが、ついでにチェンバロだけでは知り得なかったオルガンの作曲家の作品もご紹介出来ました。

3回目、最初はラモーです。

1683年9月25日にディジョンで生まれ。父、ジャンはディジョン周辺のいくつかの教会のオルガニストでした。
オペラへの情熱は12歳から始まり、当初は法律を考えいましたが、音楽家になりたいラモーを父親はイタリアに送り、ミラノにしばらく滞在しました。帰国後、ヴァイオリニストとして働き、その後、パリに移る前に地方の大聖堂でオルガン奏者として働き、ここで、1706年に、最も初期の既知の作曲を出版しました。友人ルイ・マルシャンの影響を示しています。
1709年、彼は再びディジョンに戻り、父の後を引き継ぎ主教会のオルガニストになりました。契約期間は6年間でしたが、ラモーはそれ以前に辞任し、リヨンとクレルモンフェランで同様の役職に就きました。この期間中、彼は教会の演奏のためのモテットと世俗的なカンタータを作曲しました。
1722年、パリに戻り、ここで彼の最も重要な音楽理論の作品である自然の諸原理に還元を発表し、ついで1726年にNouveau système de musique théorique (新しい音楽理論書)を発表しました。

L’Enharmonique    エンハーモニック〟とは〝異名同音〟のことで、音楽理論上、名前が違っていても実際には同じ音であることを指します。
ラモーのクラヴサンのための作品集は1706年、1724年と1729年(または1730年)出版の3冊です。


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