築地教会 明治の音 ハルモニウム
日本にありますね。
明治中期にフランスから輸入という。
サンサーンスも弾いたであろう、その時代の楽器です。
行って見てみないことには。
ハルモニウムは、キリスト教の宣教に伴い日本にも輸入され、当時のパリのカトリック教会や個人宅、貴族のサロンなどで使用されていました。教会オルガニストたちは、その場に相応しい楽曲を多く書き残しています。
ハルモニウムは現在製造されておらず、現存する演奏可能なハルモニウムは貴重なものとなっています。また、修理技術を持つ職人も少なくなっており、保存と修理が課題になっています。
教会で用いられるハルモニウムの例としては、次のようなものがあります。
カトリック浅草教会:フランスのカスリエル社で作られたハルモニウムで、100年以上前に製造されました。
カトリック築地教会:フランス・パリの会社で作られたハルモニウムで、明治中期に輸入・搬入されました。都内で演奏可能なハルモニウムとしては最古の物とされています。(wiki)
大中寅二のハルモニウム曲
大中 寅二(おおなか とらじ、1896年(明治29年)6月29日 - 1982年(昭和57年)4月19日は日本の作曲家、オルガニスト。
東京市芝区三田(現在の東京都港区)に生まれる。大阪府立北野中学校時代に大阪教会で宮川経輝から受洗[2]。1920年(大正9年)同志社大学法学部経済学科を卒業し、霊南坂教会(東京市赤坂区霊南坂町)オルガニストとなる(1979年(昭和54年)まで)。東京で山田耕筰に作曲を師事する。1925年(大正14年)にはドイツに留学し、ベルリンでカール・レオポルト・ヴォルフに作曲を師事する。帰国後、東洋英和女学院短期大学で教えた。
また副科で打楽器を習得し、1942年の満州国建国10周年奉祝交響楽団(山田耕筰、大塚淳、ヘルムート・フェルマー指揮で新京での演奏)には打楽器奏者として加わっている。
教会オルガニストを59年にわたって務め、礼拝用のリードオルガン曲や賛美歌などの教会音楽を多く作曲している。また、1936年(昭和11年)に作曲されNHK国民歌謡として放送された歌曲「椰子の実」(詞・島崎藤村)は一般にも広く知られている。
大中恩(作曲家)の父。サカタインクス創業者である阪田恒四郎の娘と結婚し、阪田寛夫(小説家・作詞家)は甥にあたる。阪田の小説『音楽入門』・児童文学『トラジイちゃんの冒険』のモデルである。(wiki)