ドラランド
ミシェル・リシャール・ドラランド Michel-Richard Delalande (1657年12月15日 - 1726年6月18日)は、ルイ14世に仕えたフランスのバロック音楽の 作曲家、オルガン奏者。グラン・モテットの最も重要な作曲家の一人。また、管弦楽曲「王様のための交響曲」やバレエ曲も作曲した。
フランソワ・クープランは父シャルル、叔父ルイの元、生まれながらにしてオルガニストになる人です。最もルイは1661年に亡くなり、フランソワは1668年に生まれているので会うこともありませんでした。ルイ・クープランの死後、兄であるシャルル (フランソワの父)がサン=ジェルヴェ教会のオルガニストを引き継ぎました。行く行くはフランソワもその地位につくことになっていました。ところが1679年、フランソワ10歳の頃に父シャルルが亡くなります。職は引き継がれたものの幼いということで、ミシェル・リシャール・ドラランドが、フランソワが18歳になるまでの代理を務めます。音楽教育係としては他にジャック=ドニ・トムランが務めました。
フランソワ・クープランのオルガン作品(2つのミサ曲集 1690年)のことを調べていて、ちょっと気がついたのですが、あの偉大なクープランは父シャルルとドラランドとトムランに学んだのです。2つのミサ曲集はその後のあの300曲以上のチェンバロ作品とは全く違う印象で、作風も全く異なります。
では、師の音楽との関係は?などと思い、探してみることにしました。
ドラランドはオルガン奏者であり、チェンバロ奏者でもあったわけですが、不思議なことに鍵盤楽器の曲を1曲も残していない。これはリュリの場合もそうで、チェンバロというか鍵盤楽器のための作品は残っていません。ですから現在はリュリの曲で鍵盤で弾く曲は他の楽器の曲を鍵盤用に編曲したものなのです。
ほんとにそうなのか、まだ知られていないだけなのではないか、など考えますけど・・・・・
ドラランドに関しては、これもよくある話ですが、名前の綴りやスペルが幾種類もあリ、同一人物と認識されるかが問題です。de Lalande、Lalande、la Lande、de la Lande などと一貫していません。
ぜひチェンバロの作品も書き残しておいていただきたかったと思います。
さて、音楽係のトムランはどうでしょうか?
1679年から1685年までフランソワのレッスンを受け持っていたということがわかっています。ということは1690年のフランソワ唯一の出版物である2つのミサ曲によるオルガン曲集はトムランの影響が強いと思われます。また幸いなことにトムランは1693年まで生き長らえていますので、輝かしい弟子の出版を知り、自身の死によりルイ14世の宮廷のオルガニストをフランソワに継承させることができたわけです。
トムランの作品集の中にはオルガン曲集が何冊もあります。
因果関係とまでは言えませんが、フランソワの音楽のルーツを少し勉強できそうです。
ドラランドの作品は
編曲されたパッサカリアを一つ見つけました。
これから出典を探します。
Michel Richard Delalande (1657~1726)
Pasacaille lalande(1690)
Revision par Th.de.Lajarte
Lajacques Thomelin (1635〜1693)