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ムーラン・ルージュとチェンバロ
1889年と言えばパリ万博。もう頭から離れない年です。チェンバロ復活にとって記念すべきイベントのあった年です。そう、ルイ・デイエメがパリ万博でチェンバロ連続演奏会をした年です。という流れでずっと気になっている年ですが、またもや見つけました。モンマルトルに1889年に開業したのが、「ムーラン・ルージュ」です。赤い風車。
パリ万博の観光客を見込んで作ったパリ最大の歓楽街にあります。
肉屋のジドレールという興行師が始めました。たくさんの観光客のおかげで、ヨーロッパに広く知れ渡りました。
トップダンサーのルイーズ・ウェヴェール(ラ・グリュ)はロートレックのポスターにも描かれています。ジャック・オッフェンバックのオペレッタ「天国と地獄」を踊るラ・グリュの姿です。
第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のパリではドイツ軍がよく通い、
1944年、エディット・ピアフやイブ・モンタン、その他、エルビス・プレスリーやフランク・シナトラもここで活躍しました。
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このシルクハットの男性は「骨なしヴァランタン」と呼ばれたダンサーだそうです。
この頃、チェンバロの世界では、1882年に偶然発見されたタスカンのオリジナル楽器が修復され、おそらく複製もされパリ音楽院の中では演奏され研究されていました。今までにご紹介したChavagnatの作品のように新しい曲も作られ始めました。
エッフェル塔が建設され、パリ万博が行われ、ムーラン・ルージュが開業し、パリは文化文明の幕開けでした。
ところでこの資料は2017年10月18日~2018年1月8日まで三菱一号館美術館で行われた「パリ❤︎グラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」で買ったカタログです。 いやー今更ながら買っておいてよかった!と思える本です。
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