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楽譜出版に関してどの国が一番早いかを調べているわけではないのですが、並べてみました。1500…
サティは1889年のパリ万博を見ただろうか? ちょうどその頃、3つのGymnopedies やGnossiennes …
1900年初期にバロック時代の音楽を紹介した楽譜が出版されています。 チェンバロ音楽がかなり…
バロック時代のフランスのチェンバロ奏者の作品集。 全4巻出版されましたが、現在はそのうち2…
毎年、終戦記念日のこの日、思い返すのが、エタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史のことです。戦…
Société des Instruments Anciens Louis Diemerが古楽器協会を設立したのが、1895年。 Lou…
Louis Diemerについては今までに何度も取り上げてきました。 チェンバロの復興に大変重要な人物です。 また、蓄音機で録音を行なった最初のピアニストと言われています。 つづく。
2013年のスタジオコンサートでプロジェクターを使って演奏しました。 Jean Absilの易しいピア…
10年ほど前から1900年頃の音楽や娯楽のことを調べています。私が長年弾いてきたモダンチェンバ…
バロック期に活躍したオルガンビルダーの音を聴きたくて、ウロウロしています。 ポワティエ大…
楽器の名称は正確にはこうです。 私の使用しているモダンチェンバロはノイペルト社のNeupert …
ノイペルト・バッハモデルで録音してみました。139年前のその当時のチェンバロ現代曲です。 H…
オルガン研究会でフローベルガーの「ブランクロシェを偲んで」を弾くにあたり、いろいろわかり…
川上音二郎、貞奴一座がどんな時代に世界を巡業していたのか、1900年にロイ・フラーの招きでパリ万博に参加した頃は日本はどのように認識されていたのか、とても気になっていまして、調べていますが、先ほど、また面白いことがわかりグググっ〜っとブレてます。 1853年にペリーが来航。鎖国終了に向かって行きます。それから14年後の1867年にはパリ万博に参加しています。 沈壽官薩摩焼が出品されたかは定かではありませんが、薩摩藩は白薩摩や薩摩錦手を出品しています。 1867年は日本が万