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プロレスラーを諦めてから転落人生がはじまったんだ。

小さく生まれて大きく育った私はプロレスラーになることを夢見て上京したのに、なぜかバンド活動に寄り道した結果、2年もの貴重な時間をムダにして、ようやく自分の目標を思い出し2度めの上京を果たした。

再上京して江東区にある運送会社で住み込みのドライバーをやった。
そして計画通り、アニマル浜口ジムに入会したんだ。

入会して最初のプロレス道場の日が全日本プロレスに入団が決まっていた 大森隆男さんの最後の練習日だったのを覚えている。
大学を卒業したての大森さんは身体が大きくて、プロにいってもヘビー級で活躍するんだろうなって自分なりに考えていた。

そんな時にある配達先でおもわぬ出会いがあった。

ある小さい貿易会社の社長さんが 鈴木みのるさんの知り合いだったんだ。
その社長さんは鈴木みのるさんのデビュー前にあるバイトを紹介してサポートをしていたことを話してくれた。

ちょっと変わったバイトで「汗を回収させてもらう」というものだった。
なにに使うのかは未だによくわかっていない。

そして、私にもそのバイトを紹介してくれて、
おまけにステーキまでごちそうしてくれた。
あのステーキはいまだにおぼえているし、
いままで食べた肉のなかでいちばんうまかった。

それなのに・・・

何度かその変わったバイトを行ったあとに、
私の悪いクセがでてしまう。

”サボりクセ”だ

昼間はトラックドライバー
仕事が終わってからジムに通って
その後に例のバイトに向かう

このローテーションに嫌気がさしてしまった。
そして何度かあれこれと都合をつけてはサボってしまい。
終いには電話にでることもやめてしまった。

今思えば、このよわっちい心が後々の人生も狂わせていた。

ドライバーをやりながらのトレーニングは思った以上にハードだった。
時折、居眠り運転をしてしまったり、不注意からお客さんの倉庫に車をぶつけてしまったりということが続いてしまった。

これはマズいと思い、例の貿易会社の社長さんとも会いにくくなっていたこともあって運送会社を辞めて、アニマル浜口ジム近くのパチンコ屋に住み込みで入ることにした。

しかし、ここで私の人生を大きく狂わす事件にあってしまう。

(※この2階がアニマル浜口ジム跡、現在は雷門5656会館の近くです。)

ジムの近くに越したことでトレーニングはやりやすくなった。
おかげで新日本プロレスの入門試験開催の情報が来たときには
私の身体は出来上がっていた。

「よし!これなら合格まちがいなした!」

そう思っていた私に悲劇が襲ってきた。

ある日の仕事終わり、パチンコ屋の3階にある寮で
いつものように寮でそろそろ寝ようと思っていると
隣の部屋から

”ドン!ドン!ドン!”

と壁を叩くような大きな音がする。
仕事終わりは夜中で、時間もすでに0時をまわっていたので
私は注意をしにいった。

「おい、何時だと思ってんだ?うるせぇぞ!静かにしろ!」

のぞいいた隣の部屋はオレンジ色の常夜灯だけが灯る薄暗い状態で
その中に制服のまま壁に向かって、なにかを突き立てている人影がある。
そいつはゆっくりとこちらに向くと「ニヤリ」と笑って背中を向けた。

ゾッとするくらい気味がわるかったけど
壁を叩くのは止めたので、私は自室にもどると、就寝の用意をしてた。

「そういえば、アイツは今日クビになったんだっけ?
確かおかしな言動が多いと客からたくさん苦情が入ったからだったかな。
ま、明日には出ていくって話だったしほっとこう。」

そんな事を考えながら眠りにつこうとしていると
私の部屋のドアをノックする音がする
そしてヤツがこう声をかけてきた。

「話があるからでてこいよ。」

眠りに入りかけていた私はかなり不機嫌にドアを開けると
ヤツはさっきの件でよくわからないことをウダウダと言い始めた。
ろれつが回っていないので、なにをいっているか聞き取れなかった。

それに私も相手にしたくなかったので、
適当にあしらうと「もう寝るから」とドアを閉めようと後ろを向いた。

その瞬間、

左目の視界のスミに一瞬光るものが見えた。

本能なのかわからないけど、ヤバいものだと思いとっさに身体を反らした。

「ドン!」

次の瞬間、左のほほに鈍い激痛が走った。

”殴られた”そう理解した瞬間に私の血が全部アタマに登った。

「いってぇ・・・テメェ!!ざけんじゃn????!??」

悪態をつこうと思ったがその言葉を
最後まで言い切る前に口の中が生暖かい液体でいっぱいになった。
あわてて吐き出すと、

足元に広がる真っ赤な水たまりと白いカタマリ・・・

「????」

状況が理解できないままに高笑いをしているヤツをにらむと
首根っこを捕まえて力任せに床に叩きつけて馬乗りになっていた。
口からは赤いモノが後から後からあふれ出ている。

そんな騒ぎに驚いて起き出してきた寮の仲間が
口から滝のように血を流しながら
馬乗りになっている私を見つけて慌てて引き離した。

同時にヤツも別の仲間が取り押さえてくれていた。

その後はよく覚えていないが、私は救急車にのせられ救急病院へ
ヤツは警察に引き渡されたそうだ。

病院では左頬を7針縫うことになった。
同時に左奥歯が全損、舌も3針だったか縫うことになってしまった。
血溜まりに見えた白いカタマリは砕けた奥歯だったそうだ。

夜中の出来事なのに処置が終わったのは夕方で
その間、アドレナリンが収まった私は激痛に悶絶しながら
病院から開放されるのを待合室で待つという地獄を味わった。

そしてようやく寮に帰ってみると、刑事さんが待っていて
傷害事件なので調書を取らせてほしいと申し出た。
仕方ないので浅草警察署に向かい、事情調書に協力した。

「災難だったねぇ アレは精神病患者だったらしくてさ
刑事責任は取らせられないんだよね。
かわいそうだけど損害賠償も難しいと思うから」

・・・完全な”ヤラレ損”というわけですか

「あ、でもアイツはもう二度と
(精神)病院から出られないからそこは安心してね(笑)」

この時、警察は当てにならんと心から思ったね。
鎮痛剤を打ってなかったら100%殴りかかってたと思う。

とまぁ
こんな事件があったのが入門試験の1ヶ月前だったわけ
幸い術後の経過が良くって、2週間くらいでトレーニングも再開できた。

でも、

調整が不十分だったことは間違いないわけで、
当然、アニマル浜口会長もジムの仲間も今回は見送ればいい
そんなアドバイスをしてくれた。

でも、私には次はなかった。

少なくともこの時は次なんてないと思っていた。

新日本プロレスの入門規定に
「年齢25歳までの健康な男子」
とありました。。

そして、この時の私は25歳
すでに来年はなかったんです。

絶望のどん底に落とされた私には
「別の道」を選択する余裕すらありませんでした。

時代は多団体時代の入り口にさしかかっていて

”新日本プロレスにこだわらなければ”

別の団体へ進むという道があったわけですが
新日本プロレス信者だった私は
その時そういう選択がアタマの中にはありませんでした。

いまでも、あのふらついていた2年間があれば
あの2年がなければ、仕切り直して翌年合格したかもしれない。
そう思ったりします。

しかし、時すでに遅し、過ぎた時間は帰ってこない。
だから、今しかない!今年しか無い!
その盲目的な感情からアドバイスを無視して、
周りに黙って試験を受けることを決めたんです。


(※現在の新日本プロレス道場)

175cm 98kg

けして大きな身体ではありません。
それでも合格する根拠のない自信はあった。

書類審査はすんなりと通り、2次審査、体力試験に進みました。

高校を出て、プロレス学校に通った場所、
懐かしい新日本プロレスの道場で行われた体力試験
試験官は馳浩さんでした。

試験が始まり、スクワット2種は難なくこなしました。
そして腕立て伏せ3種にはいるとウデに力が入りません。
奥歯を噛みしめることが出来ないからか、力が抜けてしまうんです。

それでも2種類の腕立て伏せをクリアして、
3種目の押し車式の腕立てでは5回くらいで身体が上がらなくなりました。
こんなはずじゃないのに!スパーリングまで行けばなんとでも出来るのに!

しかし、無情にも身体は言うことを聞いてくれません。
そんな私を見かねてか

「無理なら、やめて帰っていいよ」

馳浩さんから掛けられた不合格を告げる言葉でした。

私の中でなにかが壊れていく音がしました。

しばらくは頭の中がまっしろになってその場に立ち尽くしていました。

「あぁ・・・オレの人生終わったんだな・・・」

そんな言葉がアタマをグルグル回りはじめ
眼の前に映る試験を続ける同期の姿と、
そこに残ることができない悔しさとかなしさが込み上げてきて
逃げるようにその場を立ち去りました。

そして、プロレスを捨てることを決断したんです。

ホントにこの時、なんで他の団体に行くという
選択肢に気が付かなかったのかな?
後悔先に立たずとはこのことです。

視野が狭かったなぁ

そしてこのあとはもう坂道をコロコロと転がり落ちるだけでした。

サラリーマンになり、会社勤めが合わないことを思い知り、
なんとかしようといろんな事に手を出しました。

「金持ち父さん、貧乏父さん」に触発されて不動産投資をしたり、
「主婦トレーダー」の話を聞いて株・FXに手を出したり、
会社の同僚の誘いでネットワークビジネスをやってみたり

どれもうまくいきませんでした。

最後は10年勤めた会社を辞めて、コンビニオーナーになったりして、
これはうまくいきそうになったものの、こちらの体力がもたなくなって
あえなく7年目に店舗移譲という形で閉店

この時の借金は2,000万円を超えました。

その後、紆余曲折あって借金は200万円程度にまで減ったものの
再就職したのに満員電車恐怖症とでもいうのかな?
満員電車に乗ると気分が悪くなってしまうという謎の症状に襲われて
辞めなければいけなくなってしまいました。

そして、いまです。

50歳を目の前にして、無職、借金200万円が残るだけ
そんなどん底からどうやったら月収200万円に駆け上がれるか?
それを模索する毎日です。

とりあえずはバイトで最低限の収入を得ながら進める予定です。

それでは次回からは私が実践していく内容と
その結果を報告して行こうと思います。
長い自己紹介にお付き合いありがとうございました。

これからもよろしくお願いします!

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矢後みちつぐ
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