移民をめぐる文学 第1回
栗原俊秀
(この連載は、2016年に東京の4書店で実施された「移民をめぐる文学フェア」を、web上で再現したものです。詳しくは「はじめに」をお読みください)
1. ジョン・ファンテ『満ちみてる生』栗原俊秀訳、未知谷、2016年
無頼の作家チャールズ・ブコウスキーに「再発見」され、鮮烈なリバイバルを遂げたジョン・ファンテ(1909-1983)は、「イタリア系アメリカ文学」を語る上でもっとも重要な作家です。1952年に上梓された本書『満ちみてる生』では、『バンディーニ家よ、春を待て』、『デイゴ・レッド』に引きつづき、家族、信仰、イタリアという、ファンテの生涯のテーマが描かれています。作家の「僕」、妊婦でカトリックへの改宗を考えている妻、イタリアからの移民第一世代であるレンガ積み工の父親の三人が、もうすぐ生まれる新たな命をめぐって、戸惑いと哀しみに満ちた喜劇を繰り広げます。多くの笑いと少しの涙、それに、歌いだしたくなるような読後感を与えてくれる、ファンテ壮年期の快作です。
2. ジョン・ファンテ『デイゴ・レッド』栗原俊秀訳、未知谷、2014年
イタリア系移民家庭に生まれ育った著者による、自伝的な短篇集です。「デイゴ」はイタリア系移民にたいする蔑称であり、「デイゴ・レッド」は安物の赤ワインを意味する差別的な表現です。一方で、著者の言葉を借りるのなら、「摘みたての葡萄から作られた、紫がかった赤色の、苦さのなかにほんのりと甘さが香る」ワインこそ、イタリア系移民の食卓を飾る「デイゴ・レッド」にほかなりません。少年時代の記憶をもとに、哀しみを笑いで包みながら、著者は物語を紡いでいきます。「昼食の時間、僕は弁当箱を自分の体で覆い隠した……サンドイッチのパンは、家で焼かれたものだった。パン屋に売っている、「アメリカン・ブレッド」ではなかった。マヨネーズや、そのほか「アメリカな」品々を食べられないことに、僕は大いなる嘆きを漏らした」。ファンテにしか書けない、ファンテだけの文学が、ここには力強く脈打っています。本書に収められた各篇のうち、著者が「ものすごい中篇」と自賛する「ディーノ・ロッシに花嫁を」は、日本の読者にとりわけ強烈な印象を与えたようです。ぜひ、長篇デビュー作『バンディーニ家よ、春を待て』と併せてお楽しみください。
[栗原による追記]
2020年1月に刊行された『犬と負け犬』を含め、未知谷からはジョン・ファンテの拙訳書が4冊刊行されています。そのなかで、目下のところもっとも多くの反響を得ているのが、冒頭で取りあげた『満ちみてる生』です。この本が広く読まれた背景には、江國香織さんによる強力な後押しがありました。江國さんは、2018年に刊行された著書『物語のなかとそと』(朝日新聞出版)の「あとがき」のなかで、近ごろ読んだ本として『満ちみてる生』を挙げ、「ひっきりなしに本を読んでいてもめったに出会えない、文句なしにすばらしい小説」だったと書かれています。江國さんの言葉に導かれ、それまでファンテを知らなかった多くの読者が、拙訳書を手にとってくださいました。
「WEB本の雑誌」のインタビューでも、江國さんはファンテの小説に言及されています。ご興味のある方は、ぜひご一読ください。
[追記2]2020.05.15
『満ちみてる生』の訳書が刊行されたのは2016年ですが、この年、私は長男を授かり父親になりました。このタイミングでこの本を訳したのは、息子を身ごもる妻にたいして、私なりのやり方で感謝の気持ちを伝えたいと考えたからでもありました。
息子はすくすくと育ち、もう3歳になりました。ふだん、小説というものを滅多に読まない妻は、いまだに『満ちみてる生』を読んでいません(仕事が忙しいようです)。仕方ないので、いつの日か、息子の伴侶となった女性が妊娠したときにでも、読んでくれたらいいなと思っています。