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ちょいちょい書くかもしれない日記(郵便物)

実家には、まだ両親あてに郵便物が届く。
さすがに死んだ父あてのものは減ってきた。
考えてみれば、父の診療所からの郵便物転送は、1年の期限が先月で終わっていた。あらま。
ただ、ここ数ヶ月はダイレクトメールばかりだったので、特に問題はなかろう。
実家のほうには、今でもまだ、父が生前に入っていた学会(なんぼほど似たような名前の学会があるねん)や、父がOBや会員として名を連ねる団体から、会費だの寄付だのの請求が届く。
都度、死去した旨の連絡をし、そうしたほうがいいと感じた団体には、父に代わってこれまでのお礼ということで、些末な額ではあるが寄付をさせていただいている。

母宛の郵便物もときおり届く。
ほとんどはやっぱりダイレクトメールだが、役所からだったり、保険関係の書類だったり、年金関係だったり、まあやはり生きているのでそれなりに大事なものも届くのでチェックは欠かせない。
母の了承を得て、代わりに開封して中をあらため、必要ならば色々な連絡や手続きをしているのだが、今回、ポストに入っていたのは、中学高校の同窓会からのハガキだった。
そういえば卒業したとき、出席番号順に、同窓会開催の当番が何人かずつ割り当てられていた気がする。
卒業したときは、「うわ、私の当番、めちゃめちゃ未来の話やん」と笑ってそれきり忘れていたが、気づけばその「めちゃめちゃ未来」を既に過ぎているかもしれない。
私、なんか当番をすっ飛ばした気がするな……いやもう粗忽で申し訳ない。社交全般がどうにも苦手なのだ。
いい歳をして、そんなことではいけない。
それはともかく、母の学年は、その同窓会当番がきちんと守られ続けてきたようだ。
「すげえな!」と感心しながら文章に目を走らせて、「ああ」と小さな声が出てしまった。
そこには、もう高齢になって、自分たちの身体に不都合が起き、会合を開催する力が失せたので、クラス会を止めさせてもらう、と書かれていた。
近くにいる人どうし、仲の良い人どうしで、それぞれが小さく会う機会を作ってくれるように、と。
自分の母親の現状を考えれば、無理もないことだ。
今度、母に会ったときに伝えてみよう。
母には遠い昔のことのほうが心に響くようなので、ずっと親しくしていたお友達が会ってくださったら喜ぶかなと思うけれど、きっと今の母の姿を見るのは、先方にとってはつらいことだろう。
いつか会ってみたいと思ってくださったとき、そのお気持ちを逃さずキャッチできるよう、母の携帯電話は私が管理している。
母の友人の中には、私の著作を追いかけてくださっている方がいるようなので、もしその気になったら、母の携帯にご連絡をいただければと思う次第。
でも、こういうことはタイミングのものだから、あくまでも「いつか機会あらば」の話。
私も、会える人、会いたい人には、怠けず躊躇わず物怖じせず、会おうとしないといけないな……と心から思う。

午後からは学校。
長年お世話になったところだし、恩師が校長を務めていた時期もあったので、色々あっても非常勤講師の仕事を続けていたのだが、やはり「それ言いますか!」みたいなことや、雑な扱いをされることが何度もあって、辞めてしまおうかな、と思っていた。
先日、疲弊した身体を引きずって田中一村の展示を見に行ったのは、色々な思いはあるし、ご縁を切りたくない先生がたや事務員さんもいるけれど、それでも嫌な思いをしてまで長い時間を費やすところじゃない! 限られた自分の時間を大事にしたい。よし辞めよう! と決意を固めるためだった。
何となく私にとっては、田中一村は、いつだって人生の転機に現れる不思議な人なのだ。
でも、その決意は、新型コロナの後遺症外来の主治医に軽やかに砕かれた。
「あーだめだめ、まだ続けといて。教室で声張るでしょ。それ、呼吸機能のリハビリだから。あとね、親しくない人たちに会って得る刺激、バカにならないくらい多方面にわたってるから。体力的にも、出勤って適度な負荷で、具合がいいのよ。外での仕事を辞めたら、みるみるうちに体力がさらに落ちるよ。心だってたぶん病むよ。今の君には、怒りもパワー。金を貰ってリハビリしてると思えば、腹も立たないでしょ」
そ、そう言われてしまうと……せやな。
リハビリにしては疲れ過ぎやねんけど……まあ、せやな!
納得して、もうしばらくは続けることにした。
でもやっぱり、いちばん忙しい時期に講義が入っている、そしていちばん「おい……」と思うことが多い1クラスだけは、今年限りにさせてもらおうかなと思っている。
なんとも気弱でスケールの小さいエルサである。


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椹野道流
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