ちょいちょい書くかもしれない日記(疲労困憊)
新型コロナウイルスに感染して以来、とてつもなく疲れやすい。
よく他人に説明するときには「4年も5年も使い続けたスマホみたい」と言うのだが、「ついさっきまで充電は80%あった」のに、「今見たら5%になってるやんなんでェ!?」ということが日常的に起こる。
それを把握しているつもりでいるものの、これまでと同じように動ける意識がまだどこかにあって、学校で講義をした翌日に日帰り上京をするような予定をぶっ込んでしまい、今、見事に倒れている。
充電に要する時間も長くなった。
まあ、こればかりは嘆いても意味がないし、どうにかできるものでもない。
後遺症外来へ行けども、そこにいるドクターとて、データ不足でハッキリしたことはわからないまま、手探りの治療を続けておられるのだから。
むしろ、後世に伝えるためのデータ収集に協力している、くらいのつもりで受診している。
病弱な人が、いつも体調に気をつけているおかげで存外長生きするケースがあるように、疲れやすくなったことで仕事量をセーブせざるを得なくなり、睡眠時間と休憩時間を長く設定せざるを得なくなり……つまり、トータルではむしろ、より健やかに暮らせているのではないかと思う。
ただ、「体力を戻さねばならない」のに「恐ろしく疲れやすい」というのは困ったもので。
身体を動かさないと体力は戻らないが、身体を動かすと疲れてしまう。
ご近所ウォーキングの真っ最中に「あっ、無理」という瞬間が突然訪れるのがいちばん怖い。
絶対に、スマホを手放せなくなった。
逆に、スマホがあれば何とかなるのではないかという安心感が凄い。
スマホがあってよかったなあ、町内の圏外エリアがほぼなくなってよかったなあ……と、しみじみインフラに感謝する日々だ。
スマホといえば、母が紛失したケータイを探すことはついに諦め、販売店に相談して、スマホにバージョンアップした。
施設のルールで、母に持たせることはできないが、いざというとき使えるようにしておきたい。
さっそく、母の知人から何件か連絡があり、現状をお伝えすることができている。
時間はとられるけれど、母と誰かの絆を保全する大切な作業だ。
野菜不足をそれで解消できるなどとは勿論思っていないが、やらないよりはマシであろうと、毎朝、野菜ジュースを飲むことにした。
子供の頃に母に飲まされていたV8ジュースにしようと思ったら、もう見かけなくなっていた。
デルモンテの野菜ジュースが近い味だと聞いて買ってみたら、なるほど系統は同じだ。
大人になって味覚が変わったのか、やけに美味しい。続けられそうだ。