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ちょいちょい書くかもしれない日記(つなぐ)

トークショーのあと、「小説家、ありふれた家を建てる」の担当編集Sさんが、とてもさりげなく言った、
「猫ちゃんの本(ちびすけmeetsおおきい猫さんたち)から祖母ロン(祖母姫、ロンドンへ行く)に繋がって、今日のトークショーに来てくださったお客様がたくさんいらして。今度は『小説家、ありふれた家を建てる』を読んでいただいて、また次の作品にと、今度は弊社が繋げていきたいですね」
というような言葉が、とても胸に残っている。
そんな風にてらいなく率直に言ってくれた編集者は、初めてだった(そう思ってくれている人は、他にもいる。それは知っている)。
どんな編集者でも、やはり自社の仕事がいちばん大事だ。
それは当たり前のことなのだけれど、一方、小説家にとっては、どの作品も大事だ。
編集者と小説家はタッグを組んで仕事をするので、同じ方向を見てはいるのだけれど、それぞれ立っている場所は違う。
それを忘れて、一心同体であるかのように思ってしまうと、不幸なトラブルの元になる……ような気がする。
でも、作家はひとりなので、作品を芽吹かせる水脈は一本だ。
別々の出版社から出したそれぞれの作品は、完成までに吸い上げ続けた水が同じ、という意味で繋がっているように思う。
それを理解して、商業的にも、出版社というよりも作家という単位で、作品を繋げ、読者さんを繋げていく……というのを編集者が口にしてくれるのは、ありがたく嬉しいものだ。
そして、とても大切なことでもあると思う。
ことさらに、色々な出版社の編集者にチームを組んでもらう必要まではないのだが、そんな風に他社の作品、そしてその作品を愛してくれる読者さんに敬意を払いつつ、自社の作品、そしてまた他社の作品へと、スムーズな水路を構築しようとしてくれる……その姿勢に胸打たれたし、背筋が伸びる思いだった。

といっても、それは書く人と売る人の話であって、読む人は好きにしてほしい。
飲食店で言えば、「この店の肉じゃがだけを食べ続けたい!」という人も、「この店の出汁が好きだから、出汁を使った料理は全部食べてみたい」という人も、「この店の料理なら何でも食べるよ」という人も、みんなありがたいお客さんだろうと思う。
小説家も同じだ。
どんな風に出会っても、どんな風に読んでも、気に入ってくれたなら、とても嬉しい。
私は、私の心で芽吹かせた作品が、本にして世に出した時点で、いったん種の姿に戻ると感じている。
読んでもらえて、誰かの心に触れて初めて、種は再び芽吹く。
そのあとどんな葉を茂らせるか、どんな花を咲かせるかは、新たな水辺、新たな土となってくれた人次第。
感想のメッセージは、「こんな花が咲いたよ」と見せて頂いている心持ちだ。これ以上ないほど嬉しい。
花が咲かなかったときは、申し訳なく思う。懲りずにまた、違う種を蒔いてみてほしい。
きっとあなたの土や水に合う、心ですくすく育つ作品が、この広い世界にはきっとたくさんあるから。

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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。