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ちょいちょい書くかもしれない日記(役割)
これはもう戯れ言レベルの話なのだが、友人に、「こんだけ毎日猫の話してんのにさ、『猫好きクリエイターを集めて作りました!』みたいな企画にほぼ入れてもらえないのなんでやと思う? 敢えて潜り込みたいわけやないけど、世間的に猫好きとは思われてへんのやろか」と言ってみたら、めちゃくちゃクリアな答えが来た。
「別に猫好きではないやろ。生き物全般好きで、その中で一緒に暮らす生き物がめちゃめちゃ大事なだけやろ。今はそれが猫なだけで」
あ、そうね。それはそう。
「だからこそ、執事なんやろ。猫溺愛とかじゃなくて、お仕えしてんのやろ、職務として真摯に」
言語化うまいな!
そう、ヨレヨレのとびちゃんが小さくて弱々しい5匹の子猫を連れてきたときに、思ったんだった。
先代猫のちびたは私を親だと思っていたし、私もちびたを我が子と思っていたけれど、この一家は違う。
独立した、猫の家族だ。
私は、人間として、この子たちの生活に強引に干渉する立場なのだと。
人間側の都合で手術を受けてもらい、家に入ってもらおうとするならば、そしてそれが我が家であるならば、私はこの子たちに誠心誠意尽くさねばならないと思った。
勿論、共に暮らすうちに家族としての愛情は互いに芽生えるものだし、おそらく外の暮らしよりは快適なおうち生活だと思うが、そこはそれ。
私はこの先もずっと、猫たちに仕える執事でいる。
そこには、見えないくらい細いけれど、なかなかにストイックな線が引かれている。
確かに、猫好きとはちょっとニュアンスが違うのかもしれない。
でも、末っ子猫だけは、私を親だと思っている気配がして、私のほうも線を引ききれていない感じ。
ちびたが帰ってきたと感じてしまうのは、そのせいもあるのだろう。
今日は家で仕事をしているが、そろそろ野菜の在庫が心許なくなってきたので、買い物に出た。
うちで間食をすると決めているメジロ夫婦のために、選外ではあるがそう悪くなさそうなみかんも買った。
野菜は確かに高いが、新鮮で安全な食料を日常的に入手させてもらえることは、他に代え難い幸せだ。
安いときにはほくほく喜んだのだから、高いときにもぐぬぬと受け入れねばならないだろう。
無駄を出さないように上手に使おうと真剣に心がけるので、よい学びと工夫の機会を貰ったと考えたい。
私は、野菜の皮のあの繊維質の歯触りがどうにも苦手なので、いわゆる「しまつのいい」料理に使ったりはしないのだが、代わりに生ゴミ乾燥機でカラカラに乾かして細かく砕き、庭の落ち葉と共に腐葉土にしている。
もしかしたら、今いちばんほしいのは、小さな家庭用の精米機かもしれない。
ぬかを……新鮮で良質な米ぬかを、腐葉土作りをブーストさせるために安定して入手したいのである。
何年も悩んで買った生ゴミ乾燥機が大活躍しているから、精米機もえいやっと買ってしまってもいいかもしれない。
とはいえ、まだ素敵な白米のストックがあるので、悩む時間は今回もたっぷりある。
香港の方から、新年のご挨拶をいただいた。
そうか、そうだよね! 新年おめでとうございます! お互いに、よき1年になりますように。
私がまだ行ったことがない国の方にも読んでいただけているのだなあと、しみじみ嬉しくなりました。
スキをくださる方、コメントをくださる方、チップをくださる方、本当にありがとうございます。
読んでくださるだけで十分なのですが、やっぱりこう……長年、小説家として、ずっと姿の見えない読者さんにいつか届きますようにと、作品を小舟に乗せて、茫洋とした気持ちで大海へ送り出すような仕事っぷりだったので、「ここに読んでる奴がおるで~」と実在を感じさせてくださることが、たぶん思っておられるよりずっとずっと嬉しいのです。
こちらからのお返事ができたりできなかったりなので、ガッカリさせちゃいけないなと一律しないようにしているんですが、めちゃめちゃ喜んでおります。(今回はあとがき風味で)
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