ちょいちょい書くかもしれない日記(熱いお茶)
昼間はそこそこ暖かいけれど、夜になるとぐんと冷え込むようになった。
熱いお茶が美味しい。
流行りに乗って、朝は大人用のミロでも飲もうかな、朝ごはんを食べないから、なんもないよりはいいよね、鉄分とかカルシウムとかね……などと思いつつも、まずは加賀棒茶を煎れる。
ふと、病棟で看護師さんが出してくれたお茶が「熱くない! まずい!」と憤慨していた昨日の母を思い出す。
酷く震える不自由な手でコップを持つのだ。火傷の危険性を考えたら、軽いプラコップでぬるいお茶しか出せないだろう。
そこに不満も疑問も何もないのだが、お茶ひとつままならぬ母の暮らしを思うと、やはり胸がふさぐ。
せめて外出が許可されるようになったら、お店はもう難しくても、私の家で何か美味しいものを……と思うが、少なくとも来年の春までは制限が緩むことはないはずだ。
その慎重さ、医療従事者としては、素晴らしいと讃えたい。
でも、春まで元気でいてくれるかな……という娘としての不安は、如何ともし難い。
暖かくなる頃、お花見など、できるといいのだが。
所用で山を下りねばならず、待ち時間がそこそこ長いので、合間に美容院へ行くことにした。
キノコにしか見えないショートカットは楽でいいしカットも早く終わるが、その代わり、ほぼ月イチで刈り込まないと広がって徹子的シルエットになってしまう。
新型コロナ感染の後遺症で抜けたおした髪も、少しずつ原状回復が進んでいるようだ。
味覚障害は、たまに苦味が前に飛び出す程度、嗅覚も鈍くはなったが、まったくわからないわけではないのでまあ許す。
倦怠感と、それに伴う血圧の乱高下は相変わらずなので、切実に改善してほしい。
美容院からコインパーキングに向かう途中にある禅寺で、母方の祖父母と祖母の実家のお墓に手を合わせる。
祖父母のお墓は、父と同じ霊園にもある。おそらくそっちが新しいので本命だろうな……と思いつつ、あまりにも誰も来た気配がないので、立ち寄って掃除だけでもしていくことにした。
最近は高田崇史兄を真似て、いつもお線香セットを持っている。こんなこともあろうかと、である。
祖父母と仲の良い老大師がご住職だった頃は、大きな畑があって、そこで修行僧たちが立派な野菜を作っていた。
真っ黒になるまで漬け込んだたくあんを、ご馳走になったことがある。
一切れでご飯が一膳食べられるくらいしょっぱかったけれど、不思議と美味しかった。
今は、禅寺といえども、自給自足はあまり考えなくなったのかもしれない。
帰りにデパートに立ち寄り、夕飯用のお弁当を購入。
かつての家族の習慣、月イチ催事に来るたん熊のお弁当を食べる会を、今はひとりでやっている。
月に1度、自分にお疲れさまを言うのだ。
腰があまりにも不穏なので、整体にも行こうと思う。