ちょいちょい書くかもしれない日記(一周忌)
父が死んで、まる1年になる。
といっても、前日の夕方から何度か死にかけており、実際に死んだのはいわゆる丑三つ時だったので、気分的には前夜の感覚だ。
そのせいか、朝、起きたとき真っ先に思い出したのは、「ああ、去年の今頃は、ちょうど死亡診断書にリテークを出していたな……」という最悪な記憶だった。
法医学の人は、どうしても死亡診断書と死体検案書の書き方に厳格になってしまう。避けられない職業病である。
あの頃は、父の死を悲しむ余裕などどこにもなかったが、今もない。
1年経ってもまだ、父関係の作業や懸念が山積みになっている。
未だに、週に1度は父に対して「なんでやねん」と力なく憤っている気がする。
たぶん、親の後始末というのはそういうものなのだろう。
別に悲しみたいわけではないので、それはそれでいいのだが、昨年、あまりにも唐突に実家から両親が消えたせいで、未だにその事実が飲み込みきれていないのではないかと思うことがある。
東京へ日帰りで出掛けたとき、未だに流れるように弁当やあんみつを3個買ってしまったりするのだ。
長年の癖というのは、そう簡単には抜けないものである。
弟と合議の末、法事をもうやらないと決めたので、一周忌は父の好物を作ってやろうと思った。
何がいいかな、やっぱりすき焼きかな……と思ったが、昨日、スーパーマーケットに行ったら、スルメイカに目が留まった。
そうだ、父はスルメイカと焼き豆腐の煮物がことのほか好きだった。
脚は煮物には使わず、小さく刻んで、ニラとしめじ、かぼちゃと合わせてチヂミにするのがいつの頃からかお約束で、そのメニューのときは、父も若い頃のようにもりもりとたくさん食べ、翌日のお弁当にも持っていっていた。
チヂミは、タレではなく、煮物の甘辛い汁をつけて食べるのが我が家の流儀だ。
父が死んで以来、どうにも作る気がしなかったのだが、ああ、解禁のタイミングなんだなと感じたので、スルメイカのパックをかごに放り込んだ。
生姜をきかせた煮物と、四角く切り分けたチヂミ、それに炊きたてのご飯を、一周忌のご馳走としよう。