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ちょいちょい書くかもしれない日記(手が冷たい)

私は末梢の血流が悪いのか、常に四肢が冷たい。
そのわりにしもやけができたことはないので、単純にそういう体質なのかもしれない。
検診の仕事が入ったときは、夏でも患者さんを待つ間は使い捨てカイロを握り締め、触れたときに驚かせないようにしていた。
パンや麺、お菓子の生地を扱うには、冷たい手はとても具合がいいのだが、医者としては、あまりよろしくなかった。
小説家としては、まあまあどうでもいい要素だ。

今朝はとても寒いので、久し振りに手指やつま先が本格的にかじかんだ。
外の水道も、手水鉢の水も凍っていた。
でもまあ、ここに越してきた35年前は、もっともっと寒かったよな……と懐かしく思い出す。
濡れタオルを振り回したらそのまんま凍ってしまうような日もあったし。
夜、寒すぎておでこまで毛布の下に潜り込ませて、「大草原の小さな家」のローラが経験した冬というのは、こんな感じだっただろうか……と思いを馳せたりしていた。
今は、家に戻れば猫たちがいるので、いちばん大きな長兄猫のもふもふの毛に両手を突っ込んで、ちょっと「ウザ……」という顔をされながらも、暖を取らせてもらっている。幸せだ。

今朝はあの猛烈な眠気はないが、昨夜、少しだけ詰めて仕事をしたらたちまちドライアイがぶり返したので、「ゆっくり、ゆっくり」と自分に言い聞かせながら、午前はゆるく原稿をやった。
昼前に雪が降り始めたので、どうしようかと迷ったが、予約を入れていたので、山を下り、母に面会しに行く。
年末年始は、里帰りしたときしか行けないご家族に枠を譲ったほうがよかろうと、面会を控えていた。
さすがにそろそろ年始の挨拶がしたいし、様子も気になる。新しいカレンダーもかけてあげたい。
うちの猫のカレンダーと、母はやっぱり花が好きらしいので、ロイズでもらった美しいお庭のカレンダーを持参した。
もちろん、個包装の小さなお菓子たちも補充すべく、紙袋に突っ込んだ。
母は、いつもの詰め所の専用「オフィス」に出勤していたが、車いすに座ってほぼ寝ていたので、あまり意味はなさそう。
私が行くと、介護士さんが居室まで連れてきてくれた。
母は、年末に散髪してもらったらしく、こざっぱりと……何だか私と似た髪型になっていた。
トイレに行きたいと訴え、連れていったら「やっぱりいいわ」と言う。
いつもそんな感じなのだろうな。
おそらく尿意を適切に感じとることができず、一方で失禁への恐れが常に心の底にある……といったところだ。
横になりたいというのでベッドに上がってもらい、お喋りをした。
弟夫婦が年末年始、インフルエンザに感染して寝こんだこと。
うちの猫たちのこと。
母のお友達が訪ねてきてくれたはずだけどどうだった? ということ(そうだろうとは思ったが完全に忘れていた)。
施設でのお正月の過ごし方。
税理士さんに教えてもらった、相続で発生した母が使うべきお金を「預かり資産」という形で私が管理することへの可否、などなど。
もはや理解し難いであろうことも、なるべく噛み砕いて何度でも説明するように努めてはいる。
本当にご丁寧な方ね、と言われる。
母の心には確かに私がいるのだが、その私のイメージと、目の前の私がなかなか重ならない。
ほんの一瞬、私を私として認識してくれるのだが、それ以外は終始、とても親切な他人として受け答えをしているという印象だ。
でも、また来るからね、と言ったときには、ホッとした表情をした。
手を握り合って、「大丈夫だよ、ほんとにちゃんと来るから」と重ねて言うと、「きっとよ」と母は応じた。
どこまで何がわかっているのか察しようがないものの、寂しい気持ちはあるのだろう。
ちょうどおやつの時間だったらしく、帰り際に見ると、再び車いすに座った母は、おやつ部屋でみんなと一緒にカルピスを楽しんでいた。
水分補給にはとてもよい方策。
施設にいる以上仕方がないのだが、自分が求めるものではなく、与えられるものを受け取り続けて生きていかねばならないのだな……とふと感じた。
そのしんどさや息苦しさを、母がもはや感じなくなっている様子なのが、せめてもの救いだ。
あと、「寝たきりにはならない」と自分で言い、そのために歩くよう努力していると聞いて、なかなか頼もしいな! と感心した。
まあ、歩くからこそ転ぶのだが、そこはもう仕方がない。
何故か、おでこがガビガビに荒れていたので、次に行くときは、無印のちょっとよさげなクリームを届けようと思う。
今日のところはこれで……と、手持ちのロクシタンのハンドクリームでお茶を濁したら、妙にいい匂いを放つ婆さんが爆誕した。

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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。