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ちょいちょい書くかもしれない日記(署名)

朝っぱらから、スマホに着電。
見れば、母が入院中の病院だ。
昨年の夏、この時刻の電話はたいてい、入院中の父の容態が急変したときだったので、心臓がぎゅっとなる。
昨日の夕方の手術は万事順調だったと聞いていたし、死ぬような要素は特にないはず……と思いながら通話アイコンを押した。
入院時もその傾向はあったが、術後の譫妄もあり、しきりにベッドを降りようとして危ないので、拘束を認める書類にサインを、というのが用件だった。
ああはい、すぐに行きます。とりあえず了承しました、と返事をして、むっくり起き上がった。
朝から身体が滅法重い。
昨夜は、母のこれからを考えていて、あまり眠れなかった。
弟は、「寝たきりはあかんけど、いっそ立ち上がれる程度でリハビリを止めてもらって、常時車いす生活になってもろたほうが安全ちゃうか」と言う。
それも一理ある。歩けるようになっても、転倒を繰り返すだけだからだ。
それに、転倒するたび弟宅に連絡があるので、煩わしさもあるらしい。
あるいは施設の人たちも、そういう意見かもしれない。
母の安全のためには、それがいいのかも……と思いつつ、そこには母の意向はまだ含まれていない。
意向なんて、認知症が進んだ今となっては、もはやない、と言われてしまうのかもしれない。
でも、あるっちゃあるように感じるんだよ。
あんなに拒否することがあるんだから、きっと同じくらい、希望することもあるんだろうと思ってしまう。
ああいやでもいちばんありそうなのは、リハビリ全般に「いたしません!」を言い出すことだな……。
今の母には、痛みに耐えてリハビリを頑張る理由が理解できないのだ。嫌がるのも当たり前。
私が悩んだところでなるようにしかならないし、おそらく正解はない。
でも、こういうことがあると、私は娘の責務をまっとうできているだろうか……とつい考え込む。
母の幸いは、いったいどこにあるのか。

昨日は休講せざるをえなかったが、今日は無事に学校へ。
来月の上旬に、昨日の補講も上手く組んでもらえた。ありがたし。
週の後半は酷いありさまだったけれど、色んな人に助けてもらってどうにか切り抜けた。
本当は、この週末は家にいて仕事に励むつもりだった。そうするべきなのだ。
でも、母のお見舞いに行く以外は休もうと思う。
またしても、自分の体調が後回しになってしまっている。
しょうがないとはいえ、去年と同じことを繰り返すわけにはいかないので、まずは自分自身を立て直す。


こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。