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ちょいちょい書くかもしれない日記(会食)

ようやく父の相続の申告を提出した。まあたぶん色々言われると思うので長丁場になるだろうが、とにかく出すだけは出した。
これから地獄みたいに地道な解約作業の数々が待っているとしても、大きな一段落だ。
前から弟とやろうと言っていたので(奴は言うだけだが)、父がどこよりも愛した中華料理店で、今回、本来の仕事の枠を越えて父のために大車輪で動いてくださった公認会計士A氏と、不動産の売却に留まらず色んなことでお世話になりまくったM氏をお招きし、父を偲んで会食をすることになった。
そういえば、父方の祖父が死んだときも、「精進揚げはどこがええやろか」と悩む父に、「お祖父ちゃんが大好きやった中華料理屋でええんちゃう?」と私が言った記憶がある。
父は祖父のことをたいそう尊敬しており、何でも後を追う感じの人だったが、そんなところまでお揃いか、とちょっと面白かった。

神戸にある中華料理店は、子供の頃から両親に連れられて行っていたので、馴染みも馴染みである。
町中華ではなく、いわゆる円卓中華の店だ。昔ながらに、全部食べ切れないのが前提の、たくさんのご馳走が出る。
店で食べきらねばならない料理と、持ち帰って美味しく食べられる料理を客のほうがきちんと把握していて、残すべきものを残して折に詰めてもらい、翌日も楽しむ……というのが、美しき流れだ。
父は面倒くさがりで、いつも店にメニューを任せていた。
ゆえに、跡取り娘(と店の人が判断してしまったのである。私がそう言ったのではなく)もそうであろうと思ったのか、「いつもの用意しておきますね」とサラリと言われてしまうので、一度も具体的な注文をさせてもらえたためしがない。
でも、文句なく美味しいものが出てくるのでOKだ。
会計もいつもほぼ同じなので、心と懐の準備もできている。
残り物で恐縮だが、ゲストふたりが喜んで折詰をひとつずつ持ち帰ってくださったので嬉しかった。

食事中は、私と弟が知らない父の思い出話がいくつか出てきた。
M氏は、「お父様は何でも率直に話す方でしたので」と仰ったが、間違いなく「軽率に話す」の意だろう。
そろそろお開きに、という頃に、少し酔っ払ったA氏が、「僕はなぁ、本当に先生のあの笑顔が大好きやったんや」と仰った。
親子でなければ、父をそんな風に屈託なく好きになれたのかなと、少しボンヤリした。
弟夫婦は車で来ていたので、ひとりで駅まで夜散歩することにする。
夜風は生温かく湿っており、鴨川のカップルくらい等間隔にストリートミュージシャンがいた。
あまり好みの演奏ではなかったので、歩くスピードが自然と速くなった。
音楽に救われる日もあるが、今はその日ではない。そっと遠ざかる。

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椹野道流
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